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あかがねの群像


織田信長
@清洲城址 @岐阜城址 @JR安土駅前 @JR岐阜駅前
 信長の肖像と言えば、愛知県豊田市長興寺像の狩野元秀筆による肖像画が有名だが、三箇所の像いずれにもくだんの肖像画の面影はなく、固定したイメージは見られない。像の造られた年代に差があるようで、時々の信長のイメージが色濃く投影されているのかもしれない。
 清洲城の像はごく普通のどちらかと言えば特徴のない武者姿。
 岐阜城の像はもろ肌だしで駻馬にまたがっているが、信長は童子のようでもある。若き日の「うつけ」時代をイメージしたものか。
 安土駅前の像は南蛮風のいでたちをしている。近年の信長像では流行のスタイルと言える。
 信長は、「進取の精神に富んだ人」という評価を受けることが多い。2009年9月にお目見えしたJR岐阜駅前の像はその典型で、南蛮胴を身につけ、マントを身にまとい、右手に火縄銃を、左手には南蛮兜を持っている。これも信長当時は最新モードのファッション(?)だったはずが、ここに都市としての岐阜が先進的な街でありたいとする願いを仮託しているようだ。それにしても、金色が眩しい。





豊臣秀吉
@墨俣城址 @長浜城 @国道1号線矢作橋 @中村公園
@有馬温泉
 豊臣秀吉は、当時としても小柄な人で、髭も薄い、さらに巷間良く知られているようにサル顔の持ち主であるなど武人と呼ぶには少々貧相な体躯と面相の持ち主だったようだ。さらには高台寺像の肖像画が良く知られていることもあり、墨俣城址、長浜城址とも武者姿ではなく公家姿の秀吉を像にしている。これが秀吉のもっとも一般的かつ固定化されたイメージなのだろう。
 矢作橋の像は、少年日吉丸が矢作橋で蜂須賀小六に拾われたと言う半ば御伽噺のような「太閤記」中のエピソードを像にしたもの。秀吉生家跡の中村公園に立つ像は、秀吉の少年の日をイメージしたものらしく、特定のエピソードや画像をモチーフにしたものではなさそうだ。周囲には故郷の仲間たちも配されているが、その中に弟・小一郎秀長がいるとかいうようなわけでもないらしい。
 有馬温泉の像は、「茶人太閤像」とタイトルされている。武人ではなく、位人臣を極めた権力者でもなく、まさに枯れた趣味人の趣があるが、それでも秀吉らしく見えるのは注目に値する。なお、近くには正室・おね(現地では「ねね」表記)もある。有馬は秀吉の愛した湯である。





徳川家康
@岡崎城址 @浜松城址 @駿府城址
 岡崎城址、駿府城址とも、家康像は太り肉に造られている。徳川家康の肖像画は何幅も残されているが、細面に描かれていることはまずないので、像の方も自然にそうなってしまうのだろうか。家康の肖像としてもっとも有名だと思われる日光東照宮蔵のそれが、でっぷりと肥え太って描かれているために、そのイメージが決定的なものにされているのかもしれない。
 唯一、浜松城址にはスリムな家康が立っているが、これは「若き日の徳川家康公」なのだそうだ。痩せているのはそういう理由なのだろう。もっとも、「痩せている」とは言っても贅肉がついていないのであって、基本的に骨格が太そうな印象はある。やっぱり家康は恰幅が良いのだ。





武田信玄&上杉謙信
信玄@JR甲府駅前 信玄@八幡原史跡公園 謙信@八幡原史跡公園 謙信@春日山城
 武田信玄の肖像画としては高野山成慶院蔵のものが有名だが、近年ではこの法形の武将が畠山義続なのではないかと疑義が呈されているため、同じく高野山の持明院に伝わる、若き日の彼を描いたものとされる肖像が紹介されることが多い。
 対する上杉謙信画像としては上杉神社所蔵のものが良く知られている。
 もっとも、日本史上屈指のライバルとして知られる両者の、緊張感溢れる対峙を造形した川中島こと八幡原史跡公園の像もまたあまりにも有名である。武将のイメージを像にしたのではなく、像が両名の一般的イメージを形成しているとさえ思える。僧兵のなりで太刀を振り下ろす謙信と、諏訪法性の兜をかぶり軍配で謙信の刃を受ける信玄。甲府駅と春日山城、それぞれに存在する像も、基本的に川中島の像と共通するいでたちをしている。各像の制作年代は調べ切れなかったが、何にせよ彼らの場合、これらの銅像がそのイメージに影響を与えていると言っても良さそうだ。





加藤清正
@熊本城 @妙行寺 @名古屋能楽堂 @名古屋城
 賤ヶ岳の七本槍や朝鮮役での虎退治の逸話など、武功派としての印象が強い加藤清正だが、肥後に所領を得て熊本に入ると、内政家としての手腕も遺憾なく発揮し、領国を良く治めている。熊本では現在も「清正公(せいしょこ)さん」と呼ばれ尊崇を集めている背景にはそういう事情があるのだが、ここで挙げた四体の像の内、三体までが故郷名古屋に建立されたものである。実は、名古屋でも地味に人気のある武将なのだ。
 清正の場合、肖像画のイメージ云々と言うよりも、独特の形状が印象的な長烏帽子型兜の意匠が像の造りに反映されている。例外は武装していない名古屋城の像だけだ。しかし左三つがここまで似ると言うのは、共通のモチーフが存在するのか?





前田利家&前田利長
利家@金沢城 利家@尾山神社 利家@小丸山城 利長@高岡城
 前田利家の人気は、やはりお膝元の金沢および石川県で高い。出身地である名古屋ではさほど省みられていないのが清正との違いであろう。各地にある像のスタイルはバラエティに富んでいる。
 金沢城のものは、壮年期の武者姿で、これは清正と同様に烏帽子型兜をかぶっている。
 利家を祭神とする尾山神社の像は、母衣を背負っているのが特徴。赤母衣時代の若武者・槍の又佐をかたどったものだろう。
 小丸山城の像は一番没個性的ではあるが、実は大河ドラマを受けて製作されたものらしく、実際は正室まつとセットの構図になっている。
 馬上姿の高岡城の利長は、利家の跡取りである。写真では分かりにくいが、父の兜をさらに発展させたような銀鯰尾兜をかぶっており、なるほど血は争えない(?)と見える。





浅井長政&お市の方
長政@JR河毛駅 お市の方@JR河毛駅 長政@名鉄間内駅
 敗軍の将の悲しみか、現在まで残されている浅井長政の肖像画は多くないが、もっとも有名と思われる持明院蔵の像をはじめとして、丸っこい下膨れの面差しに描かれているものが多い。体型も、それ相応だ。
 暗い写真だが、河毛駅の坐像は肖像のイメージを反映したものだろう。向かって右に体を傾けているが、その先にはお市の方の像がいる。
 間内駅の長政像は、精悍な若武者像になっている。製作者のインスピレーションのままに造られた感じがする。
 河毛駅も間内駅もどちらもマイナーな駅である。が、河毛駅が小谷城の最寄り駅であるのに対し、間内駅は普通では長政とのつながりを想像しにくい愛知県春日井市の私鉄ローカル駅である。浅井氏滅亡後、側室の子・長明がこの地に移り住んだ縁があるから、ということらしい。





真田幸村
@JR上田駅 @宰相山公園 @安居神社
 真田幸村。豊臣秀吉をして「表裏比興の者」と言わしめた謀将・真田昌幸の次男である。本名は信繁で、幸村の名は有名だが、史料的な裏づけの無い、限りなく誤伝に近い通称である。
 幸村は、人質として過ごした時代が長く、同時代を生きた人にしてみれば、真田と言えば前述した安房守昌幸か、小なりとは言えど大名であった伊豆守信之のことをさすものだっただろう。あるいはほとんど無名だったかもしれない幸村の名が天下に轟いたのは、冬と夏の二回にわたって戦われた大阪の陣の時のことだった。その時期の幸村は、当時の年齢感覚ではすでに老境に差し掛かろうとしていた。
 幸村の像としては、故郷とも言える長野県上田市の上田駅前にあるものが有名だ。こちらは、騎馬武者姿の凛々しい青年武将といった趣で、世間一般の平均的な幸村像を形にしたものといって良いだろう。最近のゲームなどに登場する幸村は青年の姿であることが多い。
 一方、彼の活躍の舞台となった、大坂城真田丸跡の像も、造詣としてはこれに近いが、その面差しには老練の武将の風格が感じられる。最期の地となった大阪安居神社にある幸村像は、壮年の武将の姿をしている。顔貌は幸村の肖像画として比較的良く知られるもの(個人所有・上田市立博物館蔵)に近く、双方とも大坂の陣当時の姿に似せているとも言えよう。



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