妙法ヶ岳・その2
華厳寺から即身仏を訪ねて
■標高:666.9m
■歩行時間:3時間30分
■登山日:2015年3月8日




 どうも実感も希薄なのだけれど、時々樹林の切れ間から見る限り、人里ははるか眼下といった雰囲気である。下りがなかなか始まらない。よくある表現だが、麓から見上げると船底や馬の鞍のような稜線を延々歩き続けている状態なのかもしれない。

 一瞬だけ舗装道路の上を歩き、わずかの登り、再び下ると熊谷直実の墓だ。「平家物語」中、直実が平敦盛を討ち取るエピソードはつとに知られているが、自分の子ほどの年齢であった敦盛を討ったことは直実の心に暗い影を落とし、ついには出家を決意させた。法体となった直実は、出身の地である武蔵熊谷に戻り、その地で生涯を終えたと言われている。ただ、ここ横蔵に残る言い伝えでは諸国行脚の末この地で亡くなったとなっているようで、墓があるのもその所縁なのだろう。見るからに長い年月風雨にさらされ続けただろう五輪塔に囲まれ、真新しい宝篋印塔が建っていた。

 その近くには稚児達の悲しいエピソードが秘められているという稚児の岩なんていう岩もあるが、何事があったのかについては、ふらっとやって来ただけのハイカーに対しては秘められている。そして少し進むと、横蔵寺旧跡だ。今となってはほぼ何もないが、本堂跡とされる建物の土台程度は残されている。ここから現在の横蔵寺まではまだ少しく距離があり、直前の指導標に出ていた距離から計算すると、30分くらいはかかりそうな道のりだ。12時前に横蔵寺着と言うのは微妙な情勢となって来た。時計は11:28を示している。

 長い坂を下り切り、横蔵寺の境内にたどり着いたのは11:50のこと。微妙な時間帯である。「熊注意!」と書かれた看板の存在が、人の暮らす領域に戻って来たことを教えてくれる。考えてみれば、華厳寺側にこの種の看板はなかったが、それは良いのだろうか。それにしても谷汲コースに入ってからこっち、ちょいちょいと同意匠の看板を見かけたが、今まさに襲い掛からんとするクマの前で腰を抜かしてしまっているハイカーはこの後どうなってしまうのか。「かわせない。現実は非常である。」なのか。

 横蔵寺の山号は両界山。なんとなく印象に残る号ではあるが、その意味するところはよく分からない。古刹であることについては間違いなさそうなのだけれど、その歴史について確かなところを伝える資料は乏しいようで、伝教大師最澄の開基とされてはいるが、京洛や畿内を中心に活躍した彼の経歴から推して、その伝承の信憑性にも疑問符は付く。

 もっとも、この寺の名はもっと卑近な場面で上がる場合も多く、一般には即身仏のある寺として良く知られている。いわゆるミイラである。こちらは江戸時代のもので、妙心法師と言う人の遺骸なのだそうだ。もともと横蔵あたりの出身の人物で、諸国を経巡って修行を積み、37歳の若さで甲斐国において即身仏となった。そして明治の世を迎え、山梨県庁(!)に移されていたところ、明治天皇の目に留まり、その言葉により故郷の横蔵寺に戻されたのだそうだ。

 即身仏一般は東北を中心とする東日本に多いのだそうだが、横蔵寺のそれはこの地域では稀有なものとして、地元ではしばしば話題に上る。それでも私はこれまで拝観の機会に恵まれず、またこの機を逃せばいつまた時が巡ってくるかもしれないので、お参りしていくことにした。仏様は舎利堂に安置されており、その拝観にだけはお金がかかる。金300円を納め、ミイラに対面した。法師の写真自体は一般に出回っており、全くの初見ではない。と言うか、堂内があまり明るくないため、比較的間近まで近づくことはできるものの、安置されたミイラの様子ははっきりとわからない。ただ、いざ目の当たりにしてみるとかなり小さいという印象だ。江戸時代の人なのでもともと体格が小さいのもあるだろうし、ミイラ化して水分その他が抜けきってしぼんでしまったのかもしれない。

 堂外に出る。田舎につきものの正午を知らせるチャイムが鳴り響いた。今、ここから東津汲を目指すとなると、順調に行って到着時刻は16時を回る。妙法ヶ岳が思っていたより歯ごたえのある山行となったこと、この先の道のりがそれに近いものになるだろうことを考慮すると、揖斐駅へのバスが17時台にあるとは言え、あまり楽観的ではいられないタイミングだ。今回は、ここで打ち切ることにした。通常コースを通ることさえできれば、まず間違いなく攻め継続だったのだけれど。

 横蔵のバス停に谷汲山行のバスがやって来るまではまだ1時間余りある。次回下見を兼ね、少し集落の中心に向かって歩いて行くと、小さなお堂が二つ並んでいるのを見つけた。今回のセーブポイントをここに定める。次はここから歩くことにしよう。

 谷汲山バス停は、つまり華厳寺の最寄バス停のことだ。どうやらここで谷汲口駅行のバスに接続しているらしい。ここを目指すバスに乗ると、前回華厳寺からの離脱に使ったのと同じバスに接続することになる。というか、谷汲山まで走ったバスは、そこでいったんすべての客をおろし、そのまま行先を谷汲口駅に変更し、走り続ける運用となっているらしい。一度降りたバスにもう一度乗ったのは何となくばつが悪かった。以降は、まさしく前回の東海自然歩道歩行と同じようにして名古屋まで戻った。二週間前はちと手を焼いた樽見鉄道の料金受領票だが、二回目の東海自然歩だーの前ではまったく無力のものであった。
熊谷直実の墓。

そこで問題だ!もつれた足でどうやって熊の攻撃をかわすか。

横蔵寺に着いた。

華厳寺に比べて静かなお寺だ。

小さな祠を目印に今日の歩行を終了。

 
アクセス 樽見鉄道谷汲口駅より揖斐川町コミュニティバス「谷汲山」下車。
ガイド本 ヤマケイアルペンガイドNEXT 東海周辺週末の山登りベスト120 山と渓谷社
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