山上ヶ岳・その2
女人禁制の地へ
■標高:1719m
■歩行時間:4時間
■登山日:2014年10月26日




 少し進むと、陀羅尼助(だらにすけ)茶屋と言うのがあった。洞辻茶屋でもうどんに味噌汁、吉野葛湯なんて気の利いたものを出していたようだが、こちらはちょっとした門前町のように、棟続きの建物の中に出店が軒を連ねている。ある種のアーケード商店街みたいなものだ。陀羅尼助丸は、奈良県の吉野以南の地域を旅しているとよく見かける胃薬のことである。やっぱり役行者が発明したものなどとも言われている。奈良に羽ばたく陀羅尼助グループが設立した小屋なのかとも思ったが、もともとの役行者とのつながりからこの場所に存在しているのかもしれない。入り口付近の看板には「平成二十六年九月二十三日 大峰山戸閉式」とある。通年営業と言うわけではなさそうだ。と言うことは、山頂にある大峯寺も今年の営業を終えているのかもしれない。ここまでの道のりで、ひそかに期待していた修験者との出会いは皆無だった。この山行では、六根清浄の声も聞けないのだろうか。

 陀羅尼助茶屋から5分と歩かず、「わらじはきかえ所」に到着。草鞋履きで登山をしていた時代、ここから先は山上ヶ岳の核心部であるため、履きつぶしたような草鞋から新しくきれいな草鞋に履き替えたというほどの意味なのだろう。現在の、趣味登山の人々には象徴的な意味しか持たないが、ここは登山道の分岐点となっている。行場道、旧下山道、平成新道の三つがそれだが、旧下山道は台風により崩壊しているため通行止めだ。現下山道として使われるのは平成新道で、街中の施設ばりに階段の整備された歩きやすい道である。下りで利用すると、まさに快走路と言った雰囲気でよくスピードも出るが、やや単調な道ではある。一応、天川村方面への展望はある。なお、旧下山道を崩壊させたのは「台風7号」であると説明されていた。2014年の7号はそんなに尖ったやつではなかった。7号台風が奈良県域に大被害をもたらしたのはいつのことだったかと思い、後になって調べてみたところ、平成10年(1998)のことだったようだ。

 もちろん、行者道に進む。さすが、修験の修行者が歩いた道と言うだけあって、岩場が連続するようになった。これまでの、どこか峠越えの古街道を思わせる歩きやすい道とは明らかに趣が異なっている。途中には鎖場もあるが、鎖を使わずとも登れそうな程度の岩場ではあるので、臆せずこれを乗り越えると、やがて鍵掛岩の直下に出た。見上げるような岩場の上部には、木組みの展望台のようなものが設置されている。純粋に展望台なのか、修業のために使われるものなのか、そこがわからない。傍らには、「大峯山の行場について」と題された看板が立っていた。「行場修行申込される前に必ずお読み下さい」とあるから、伊達や酔狂で立っているものでもあるまい。真相は定かではないが、とりあえず私は、この展望台様のものに立ってみた。眺めのいいところだ。右手に、その身に雲をまとうようにした山々が見える。深い山並みのように見えるが、地図によれば三重との県境に位置する台高山脈だと思われる。少し南に下れば大台ケ原に続いてはいるが、山脈の向こうは、少しずつ高度を下げながら熊野灘に没するはずだ。別の方向を見れば洞川温泉の町並みも見える。今日の天気、どうやら西ほど良いらしい。

 7:57、等覚門に到着。等覚というのは修験道の用語らしく、修業の段階や悟りの域を表現するものらしい。この後は最終的な悟りの段階である妙覚に達するしかない。私の精神修養がその域まで達したとは到底思えないものの、門が一つの表象であると考えるならば、山頂まではまだ少しあるとは言え、この山の核心をなす大峯寺の寺域に入ったと見るべきか。

 この辺りまで来ると、登りはほとんどなくなる。一応、前途を見やれば一度下ってから宿坊群を目指す形になっているのは見えるが、その向こうには顕著なピークも見えず、宿坊の上手に大峯寺があり、さらにその後方に山上ヶ岳の山頂があるのだろうなと言うのがわかる。と、下り始めるその前に、山頂以上に山上ヶ岳を象徴する西の覗きがある。平山明神山にも西の覗き・東の覗きがあったが、あれはここのオマージュみたいなものであろう。女人禁制の山上ヶ岳と言っても、宗教的秘儀を包み隠すようなクローズドな世界ではないため、ここでの修業の様子は映像や写真で紹介されていることも多い。つまり、断崖絶壁となっているこの岩の縁で、体に縄を縛り付け、半分逆さづりみたいな状態で寝そべって、「六根清浄」とやるやつだ。

 やっぱりシーズンでないらしく、覗き修行をやっている人は一人もいない。そんな中を私は一人、岩場の縁に立ってみた。確かに断崖ではあるが、足場はわりとしっかりしており、普通に立って下を覗き込むだけなら意外と安心感がある。怖さだけで言えば、この間の西穂独標の方がおっかなびっくりと言う感じだったが、別にここは肝試しの場というわけでもない。話が卑近になったついでに書き残しておけば、ここからの展望は絶佳である。さらに加えておくと、西の覗きと対になってしかるべき東の覗きは、当然のこと近くの山中に存在しているが、裏行場の一部とされており、先達の導きなしで行くのは難しい場所だと言う。山慣れた人なら何となく独力でクリアしてしまいそうな気はするが、信仰や信心と言った次元の問題から秘された場所でもあるのだと思う。道すがらみたいなところにある西の覗きと違い、敬意もなく近寄るべきではないのだろう。

 西の覗きを後にし、8:15に大峯寺に到着。やはり、今は固く扉を閉ざしている。なおも続く大峯奥駈道は、本堂の前を横切り大普賢岳の方を目指すが、山上ヶ岳山頂は、それとは方向違いとなる。本堂正面の高みがそれだ。8:19、笹野原となっている山頂に立つ。現地ではお花畑と言う表現が用いられているので、シーズン次第では花が咲くのかもしれないが、見たところは一面に熊笹が繁茂するなだらかで広い山頂だ。まともな道なのか、単なる踏み後なのかは定かではないが、一部に植生が剥げているところがあったため、これを辿って行くと一等三角点があった。三角点がある以上、一応さっきの道は通って良い場所だったのだと解したいが、何となく植生を踏み荒らしたの感が残り後味が良くない。

 山頂も、眺めが良い。特に、奈良盆地が思いのほか近くに見える。この場所にだけ高木がないのは人為的なものを感じはするが、古の修験者たちは、いよいよ深山に踏み入って行く大峯奥駈道を辿るとき、この辺りから人里に別れを告げたのかもしれない。古歌に曰く「やまとはくにのまほろば」。この場合の「やまと」は、奈良県の旧国名である大和と必ずしもイコールではないのだが、古代から連綿として続いてきた大和の地の美しさが心に沁みる。もちろん、人々の暮らしはすっかり近代化されているのだけれど、箱庭のように広がる盆地の中、広々とした田畑のあちこちに町並みが広がる様は、人の営みの歴史を織りなす要素の一つには違いなかった。
仏像・石碑が多いあたりは、普通のハイキング山と一味違う。

陀羅尼助茶屋内部。

岩場が姿を現すにつれ、行場らしくなってきた。

等覚門。

西の覗き。

なだらかな広い山頂。しかし大峯奥駈道は、ここから険しさを増していくのだろう。

大峯山寺は固く戸を閉ざしている。

 
アクセス 近鉄下市口駅より奈良交通バス「洞川温泉」下車。本数少なく、足が遅いと日帰りが不可能。
ガイド本 新・分県登山ガイド[改訂版]28 奈良県の山 山と渓谷社
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