山上ヶ岳・その1
女人禁制の地へ
■標高:1719m
■歩行時間:4時間
■登山日:2014年10月26日

    深田久弥翁がものした「日本百名山」には、大峰山と言う山が含まれている。翁が登ったのは、広義での大峰山であり、エッセイとしてはその縦走の記録が掲載されているが、スタート地点となったのが標高1719mの山上ヶ岳で、それなりの紙幅も割かれている。しかし、名山家やハンター向けに書かれた百名山ガイドの類を見ると、大峰山は八経ヶ岳や稲村ヶ岳で代えられていることが多い。大峰山縦走は、アクセス交通の不便さではアルプス以上であるため、趣味の本で紹介するには内容がヘヴィなのもあるのだが、実は山上ヶ岳は今なお女人結界の設けられた女人禁制の山であるため、そういった点でも一般向けでなかったりする。



 これほどに日の光のありがたさを思ったのは久しぶりである。4:30に天理市内にある奈良健康ランドを発して約1時間半。山上ヶ岳への登山口となる清浄大橋にたどり着くまでの道中は、まさに暗夜行だった。市街地の道も決して広くないので走りやすくはなかったが、山間部へ進むにつれ、道は細く、曲がりくねって行く。年々整備工事は進んでいるらしく、以前走った時よりも狭路区間は短かったが、それでも暗い中で走るには心もとない道が連続する。山上ヶ岳はそんな道の先にある。紀伊半島の中ほどには奥深い紀伊山地が広がっていて、言うなればその取っ付きに相当する。実際この山を通過する古道は、「大峯奥駈道(おおみねおくがけみち)」としてユネスコの世界遺産「紀伊山地の霊場と参詣道」の一部を形成している。山麓の天川村は、歴史的に修験道との結びつきも強く、山上ヶ岳に代表される大峰山の門前町としての性格も帯びていった。現在で言う洞川温泉は、ことにそれが顕著で、旅館や民宿の立ち並ぶ温泉街で黎明を迎えた時には、どうにか人心地着いた思いであった。

 ある時私は、地下鉄の女性専用車両を見ていて、山上ヶ岳への登頂を思い立った。公共交通機関でのアクセス手段が絶無の山ではないのだけれど、常識的には泊りを決断してなお、行動への制約を覚悟しなければならなくなるため、そこのところをクリアするための健康ランド泊りであった。車を出してしまえば、名古屋から日帰りできない山ではないのだけれど、奈良観光の時間も確保しようという下心から、天理前泊としたのだった。なお、くだんの橋のたもとにある駐車場は有料なのだけれど、あまりに到着が早いと駐車料金千円也を払う窓口がない。そういう車には、主がいない間に何処其処で支払えと言う意味の付箋が張り付けられていたりするので、それに従って下山後に料金精算をすることになる。

 さて、山上ヶ岳を目指す道はいろいろある。ことほど左様に、今回は最も一般的な一つと思われる清浄大橋からの道を登ることにする。歩行開始は6:15。清浄大橋(またの名を大峯大橋)は、その名に反し、県道の終点となっている駐車場片隅の、小さな人道橋である。幅、長さ共に大橋の名に値するかどうかが微妙な、赤い欄干の橋である。ここを渡るとほどなく、女人結界がある。生物学的に男人の私も、そのたたずまいに厳粛なものを感じながら、結界を越えた。

 修験道の山と言う響きからは、人を寄せ付けない峻厳な山の姿が想像されたが、山上ヶ岳の登山道は思いのほか歩きやすい。よく人手の入った道で、石段や木段に代表される人工物が多いのもあるが、何と言っても傾斜が緩やかなのだ。著しく消耗を強いられる場面はそんなに多くない。加えて、参詣の道であるため、道中には茶屋と名付けられた休憩所が設えられている。10月のこの時期はシーズンでないため、人気もなくひっそり閑としているが、参詣者の多い時期にはそれなりの活況を呈しているのかもしれない。6:43、一本松茶屋を通過。道中、もう一つ一ノ世茶屋と言うのがあったが、こちらは茶屋跡とするのがふさわしく、明らかに人が均した広い平地が残されているだけの場所だった。一本松茶屋を通り抜けるまでは、植林の中の薄暗い山道が続くが、次第に道のりに日が差してくる。今回に限っては、登り始めが夜明け直後だったという事情もあるのだけれど。それにしても、なかなか稜線に出ない山道ではある。

 途中にお助け水と呼ばれる水場をはさみながら、7:25に洞辻茶屋に到着。ここがようやく稜線上である。途中に二少年遭難碑なんて言うのがあったのに加え、茶屋の建物の中に、今年の正月消息を絶った老人の行方を尋ねる張り紙がされている。そう言えば、登山口付近には別の中年男性の消息に関する情報を求める張り紙もあった。意外と遭難の多い山であるらしい。それも、道迷い遭難の類が多いらしく、加えて遺体も見つからないパターンが珍しくないのか。遭対協のような山岳救助に特化した組織が存在しないわりに入山者数が多いのかもしれない。

 洞辻茶屋あたりで大天井ヶ岳・小天井ヶ岳方面からの道と合流。すなはちこれが大峯奥駈道である。この先は世界遺産の一部であると同時に、信心の道だ。茶屋の建物を出ると、いきなり不動明王像が立っていたりする。出迎不動尊と言うらしい。ここから山頂まで、基本的には全区間でこんな感じの、個人や法人が寄進したと思しき像と記念碑が建っている。記念碑の類は、三十三回登詣記念のものが多いが、33と言う数字に何かしらの特別な意味があるのだろうか。像については、役行者のものが多い。こちらは誰の像であると明記されていないのが普通だが、造形から察するにはそう考えるのが妥当だろう。伝説的な話だが、役行者こと役小角は大峰山開山の祖であり、方々の修験系の山には、彼にちなむ説話が残されている。伝説の域を出ないものが多い中で、少なくとも小角が今の御所市に生まれ、大和国内をホームグラウンドにしていたことは間違いないと思われる。そして、天川とのつながりがあったらしいことも、一応彼の生涯の中で事実の範疇に属するものとされている。ちなみに、箕面の天上ヶ岳で入寂したと言われている。東海自然歩道の終点からほど近い山なので、ここもいつか登ってみたいものである。
清浄大橋。しかし、小さな橋である。

わりと人手の入った山と見える。

一本松茶屋内部。ちなみに外装はトタン板。

「役之行者慈悲乃助水」とある。

大峯奥駈道に入った。

 
アクセス 近鉄下市口駅より奈良交通バス「洞川温泉」下車。本数少なく、足が遅いと日帰りが不可能。
ガイド本 新・分県登山ガイド[改訂版]28 奈良県の山 山と渓谷社
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