木曽駒ヶ岳・その3
聖職の碑を訪ねて
■標高:2956m
■歩行時間:6時間
■登山日:2014年9月14日




 道は、緩やかなアップダウンを繰り返しながら、全体としては下り基調で北東に伸びていく。道中、馬ノ背と呼ばれる稜線を通過する。あまり険しさもないが、どちらかと言えば単調な道のりではある。進めども進めども目印となるものが現れない。「聖職の碑」にたどり着けないのはもちろんのこと、チェックポイントとなる濃ヶ池への分岐にもたどり着けない。もしかして知らず知らずのうちにこれらを通り過ぎたのではないかと思いながら歩いていくと、道はかなり大きく高度を落とした。間もなく、濃ヶ池分岐に到着。どうやら八合目に相当するらしい。時に10:46。木曽駒の山頂から50分弱で歩いたことにはなるが、予想以上に疲労している。ここから先は、将棊頭山頂に登り返す形になる。決して急な坂道が続くわけではないのだが、疲労が蓄積して酸欠みたいな症状が出始めていることもあり、苦戦を強いられる。道中、前方に遠望できる巨石の姿を認めては、あれが碑なのではないか期待し、近づいてみて単なる自然石であることがわかるというパターンを繰り返す。目指す碑がどんなものであるか、一度ネットで見たことはあるのに、記憶の中でその像があいまいになっている。

 11:06、濃ヶ池分岐からはほぼ想定通りのタイムで歩き、「聖職の碑」にたどり着いた。山頂に通じる緩い坂道の途中に、大小二つ、すなはち新旧二つの碑があった。新しいものは「平成十六年七月建立」とある。これが小さな方。大きな方が、最初に建立されたものなのだろうか。「遭難記念碑」の碑銘はともかく、小さな字で刻まれた建立日はかなり薄くなっている。同様に、プラスチック製の板に碑のいわれを印字した解説板も、すっかり字が薄くなって、何が書いてあるかほとんど読み取れない。頻繁に更新を行えるような場所にないことが最大の理由ではあろうが、なんとなく、自然環境の厳しさのようなものが思われる。この辺りの標高は2700m前後。当然、森林限界よりも高く、植生はハイマツと草ぐらいしかない。こんな条件下で身を守るものとてなく暴風雨に見舞われ、夜を明かすことになったとすれば、多くの者は疲労凍死の最期を迎えるだろう。昨晩の寒い夜明かしが思い出される。

 新田次郎は、大正2年の8月26日に発生した大量遭難事件に材を取って「聖職の碑」と題する小説を発表した。この遭難記念碑が「聖職の碑」の通称をもって呼ばれるのは、これが所以である。その小説の文庫新装版では、犠牲者、あるいは生存者の発見地点を地図に落とし込んだものが掲載されているが、その中でこの碑の設置場所にどういう意味があるのかを読み取ることはできない。有賀直治、堀峯二名が死亡した箇所に至近であることはわかる。気象庁に勤務経験のある新田によれば、遭難事故の直接の契機となったのは、当時の科学力では予測し得なかったという台風の急激な発達であったそうだが、致命的だったのは、不心得者により頼みの綱としていた避難小屋(伊那小屋)が使用不能とされていたことだった。伊那小屋はどうも今で言う宝剣山荘付近にあったようだから、小屋の存在と現在の碑の位置とにも関係はなさそうだ。小説の記述によれば、一行は強まる風雨から逃れるようにして、濃ヶ池を経由して破壊された伊那小屋にたどり着いたのだという。そして、絶望的な状況を目の当たりにして統制を失い、山中へ散っていった。遭難の事実が決定的になったのが、伊那小屋だったと言える。なお西駒山荘は、この遭難事故を機にして建設された避難小屋に由来するものなのだそうだ。

 事件の顛末は、帰宅後に「聖職の碑」を再度読み返して概略把握したのだけれど、山を登っているまさにその時の私には、そこまでの情報はない。とにかく、碑の様子を眺めた後は軽食を取った。ここから将棊頭山頂までは大した距離ではないはずだが、今回の山行、ちと余裕がない。当初予定していた全行程の中で、最も深い位置にあたる「聖職の碑」までたどり着けたことで良しとし、下山の途に着くことにした。帰路として想定するコースは、濃ヶ池を経由して宝剣山荘に至る道である。奇しくも「聖職の碑」と同じコースとなる。来た道を引き返そうとすると、馬ノ背への登り返しが厳しく、中岳も越えなければならない。現在の時刻は11:10。今の疲労状態だと、14時に千畳敷駅までたどり着ければ御の字だろうか。ほぼコースタイムそのままの想定だが、往々にしてコースタイムと言うのはかなり長めに設定されている。

 道が分岐する八合目まで、少しずつでもアップダウンがある。ダウンはともかく、アップにかなりの苦戦を強いられる。これだけ苦しい山は、久しぶりである。分岐から濃ヶ池までも、まったくの平坦路ではないものの、上り下りはそれほど厳しくないので、とにかく足を止めず、ゆっくりでも歩き続けた。11:46、濃ヶ池到着。静かに水をたたえる池だ。水深がほとんどなく、池の周辺が湿地帯みたくなっているところを見ると、降雨の程度により大きくなったり小さくなったりするのかもしれない。岩場が卓越し、どちらかと言えば乾いた印象の木曽駒山域では珍しい水場ではあるが、特筆するほどの自然美と言うわけでもなく、しばし体調を整えた後、ほどなく出発。

 乗越浄土に至るまで、トータルで見ると登り下りの少ない濃ヶ池からの道だが、それでも池から先はなかなかシビアな道が続く。ありがたくないことに、雲が出てきた。「聖職の碑」のような、嵐を呼びそうな雲ではないが、日の光がさえぎられるだけで肌寒く感じる。それでなくても今日は、終始半袖のTシャツの上に長そでシャツを羽織るような気候だった。なんとなく、夏山のような明るさはない。濃ヶ池以降は、枯れ沢のような岩場を横切り、ハシゴを攀じ、馬ノ背東面の斜面を進みながら、少しずつ高度を稼いでいくのだけれど、普段の、と言うより以前の自分のペースと比較してあまりに遅いため、全然進んでいる感じがしない。長期戦でじっくり攻略する覚悟を決めはしたものの、駒飼ノ池にたどり着くまでに約50分をかけることになった。前方の斜面上に、宝剣山荘が見える。気力と体力が充実していれば、一気に登ってしまえそうな坂道も、今日に関してはそうもいかない。やはり休み休みで40分をかけ、稜線上に出た。前方に宝剣岳が見える。今のコンディションでは、宝剣に寄り道と言う選択肢はあり得なかった。

 少し休憩した後、千畳敷駅へと下り始める。下山者が多い。道は渋滞を起こしている。時に13時半。この時間からでも上を目指す登山者がおり、登る者と下る者で行き違いが発生するため、一層流れが滞りがちになる。下の方からは、ロープウェイ乗り場からのアナウンスが聞こえてくる。どうやら、整理券の配布が始まっているらしい。乗客の数が搬機の輸送能力を超えた証拠だ。この坂を下り終えても、簡単には下界には降りられそうにない。今回、新たに購入したシリオの登山靴を履いていた。岩場などでグリップが良く効いたのはありがたかったが、靴底が固いというのか、第一中足骨のあたりを痛めつけてくる。サイズの問題なのか、靴の形の問題なのか。足に合っていないと思いたくはない。履き慣れてくることで改善すると良いのだが。

 千畳敷駅前まで戻ったのは、14:20のことだった。ロープウェイの整理券を受け取る。15:43発の便まで待たなければならないようだ。駅周辺には人が多過ぎ、落ち着いて腰を下ろす場所すらない。結構気温が下がってきているらしく、歩いていたときそのままの格好で外にいると、少なからず寒い状態だったのに、と言って室内は外以上に立錐の余地もない。ホテル千畳敷の料理とは言わないまでも、スナックコーナーのうどんなど、温かい食べ物の恋しいこと夥しかった。
聖職の碑を目指して出発。

中央アルプスらしいと言えば、らしい稜線歩き。

ついに到着、聖職の碑。

碑銘は本来どおり遭難記念碑となっている。

濃ヶ池。浅い…。

最後の最後、宝剣山荘への登り返しが辛い。

千畳敷カールまで戻ったが、この人だかり。

 
アクセス JR駒ヶ根駅より中央アルプス観光路線バス「しらび平」下車。ロープウェイで千畳敷駅へ。夏山シーズン休日のロープウェイは数時間待ちもザラなので要注意。
ガイド本 新・分県登山ガイド[改訂版]15 長野県の山 山と渓谷社
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