関ヶ原〜沢田(松尾山)
天下分け目の古戦場から孝子伝説の地を目指す
■標高:292.9m(松尾山)
■歩行時間:3時間40分
■登山日:2014年5月31日

    大方の日本人は、その昔に関ヶ原の戦いという一大会戦が戦われたのを知っていると思う。そして歴史に詳しい人ならば、小早川秀秋という武将の裏切りにより、戦の勝敗が決したことも知っているだろう。その秀秋が陣取っていた場所が松尾山という山だったという情報が即座に出てくるとなると、これはもう歴史マニアとかの領域に片足を突っ込んでいると言える。この歴史の舞台をもたどる東海自然歩道は、周遊コースとなって関ヶ原の戦跡をたどったあと、古代の関所であった不破の関跡付近から松尾山を越えて養老山系を目指していく。



 前回で愛知県北西端部を脱して、岐阜県に突入した私の東海自然歩道旅は、順序に従えば各務原から岐阜市北部あたりを歩くのが本筋だ。しかし、このあたりのコースは例の各務原アルプスの山裾の舗装道を歩く、あまり面白くないコースだと聞いている。と言ってその先の岐阜県コースは、前情報なしに歩くには手ごわいコースだと思われる。一番問題になって来るのは、道がわかりにくそうだと言う点だ。そんなわけで今回は、岐阜県内コースでは比較的メジャーコースになるのだろう関ヶ原以西を歩くことにした。問題は、松尾山を越えてしまうと行程を打ち切るに適当なポイントがしばらくないことだ。そこそこ遠い道のりにはなるが、養老公園まで歩くのを目標に、歴史の道をたどる自然歩道歩きへ出かけることにした。なお、岐阜県コースは要所でコースに名前がつけられており、たとえば今回ルートの前半は「関ヶ原つわものたちをしのぶみち」と言った感じだ。

 しかし、出発時間の遅さに今回の計画遂行への意識の低さが現れていたのは否めない。午前8時半に地下鉄に乗り込んだら、およそ10時に関ヶ原駅に着いた。養老まで歩くとなると、15時から16時と言ったタイミングでのゴールとなるだろうか。すでに夏のような気候の中、厳しい歩行になることが予想され、軽く初動の遅さを後悔する。まあ、ここまで来てしまったのだから仕方がない。ちゃっちゃと歩き出す。

 東海自然歩道は、丸山のろし場付近で南北二手に別れ、不破の関跡で合流するのだけれど、より多くの旧跡を回る北ルートのほうが迂回気味に、南ルートのほうが最短距離で不破の関を目指す。北側ルートは、いわゆる古戦場としての関ヶ原を通り、田園地帯の只中に点在する史跡をつないでいく。駅近くをかすめるのは、南側ルートのほうだ。田舎町の関ヶ原町とは言え、現在の関ヶ原には国道21号が通り、その沿道付近には商店や民家が多い。自然歩道もその実はこれらの道を通っている。それは良いのだけれど、道標の類が皆無に近いので、駅前からの途中参加だと、正しくそのルートを拾えているのかが非常に頼りない。ガイド本は持っているが、愛知県コースの時に持っていた公式のパンフではないため、ある程度の精度の地図がないのが苦しいところだ。岐阜県コースの地図の早急な入手の必要を感じる。結局、東海自然歩道のコースに入れたと確信できたのは、福島正則陣跡を通過した時だった。そしてそこから不破の関跡までの間で、やっぱり東海自然歩道とは微妙に違う道を歩くことになったような気はする。

 名神高速の下をくぐり、新幹線の下をくぐり、松尾山への道に取り付く。ここまで来ると、さすがにちゃんとした道標が設置されており、そもそも山頂までの道が一本道と言うこともあって、ミスコースする心配はほぼない。一本道と言えば、実は関ヶ原の駅を降りた時から、行く先々でトレイルランニング…というか健康ジョギングの人たちと出会ったのだけれど、フォームこそランのそれでありながら、ペースが実に遅い。コース取りの違いもあり、歩いているはずの私と、なぜか抜きつ抜かれつを繰り返していた。さすがに一本道となれば、曲がりなりにも走っているはずのあちら側に差をつけられるだろうと思っていたら、いくらも登らないうちに、ジョギングはやめてウォーキングに切り替わっていたようである。しかも、ランニングをやる人達にしては体力がないのか、どうにも遅い。変に気を使いながら次々と抜き去り、松尾山山頂へ。時に11時。

 松尾山は、陣城と言うのでもないが、関ヶ原の戦い以前から恒久的な軍事施設として手が入れられていたものらしい。14世紀末から15世紀初頭の応永年間に築かれ、美濃と近江の国境に位置する典型的な境目の城として、時には信長の陣営に属し、時には浅井長政の属城となりながら、信長による美濃・近江の支配が確定的になった天正7年(1579)に廃城となったということだ。曲輪さながらに均された平地もある。秀秋が関ヶ原の戦いに臨んで陣取った際にも、ごく基礎的な防御機構は残していたものと思われる。が、核心はやはり山頂と言ってよいだろう。金吾中納言が見下ろしたであろう関ヶ原の地は、今ではいかにも現代的な都市インフラが築かれてはいるが、ともあれ眺めは良い。

 少し遅れて、くだんのジョギングの人たちが到着。先が長いの半分、数の圧に押されるの半分で、何となく入れ替わるように山頂を後にした。もちろん、駅とは反対側の平井集落に下る側に進んだのだれど、行く先々で出会うことになったらいやだな、とは思っていた。結局、彼らとはここでお別れとなった。どうやら東海自然歩道を走る趣旨の人たちではなく、松尾山に登るだけのためにやって来ていたようだ。

 関ヶ原から松尾山の山頂へ至る道は、史跡探索の人の訪問を意識してか、どうかすると車でも入れそうな整備が施された道だった。一方、平井側への道は、曲がりなりにも山道の顔をしている。ただし、周囲の林は植林のようだし、比高自体がさほどではない山なので、山歩きの時間は意外と短い。山を下ったところも、まだ関ヶ原町である。電車の旅をすることが多い関係で、いわゆる古戦場側のイメージが強い関ヶ原町だが、松尾山の裏側が即上石津町であるという認識が誤ったものであることをはじめて知った。こちら側はいかにも山村集落の趣である。それも少し歩いて行くとすぐに終わりを見せる。東海自然歩道は、人家の途絶えた県道の上を伸びている。無骨で無愛想な舗装道ではあるが、今須川によって形成された深い渓谷上の道は、思いの外自然の気配が濃密だ。

 県道を黙々と歩き続ける区間が長く続いた後、道路脇の林に引き込まれる。このまま山道に入り込むのかと思いきや、少し歩いた後に南宮山南側の盆地に出た。東海自然歩道では異例とも思える、開放的な空間である。藤古橋を渡り、名神高速や国道365号を見ながら、藤古川沿いの道を歩く。桜並木だが、このシーズンだと青葉茂る木陰の道となっている。と言って、桜の木は道の片側にあるだけなので、強い日差しをさえぎってはくれない。これまた道のりが長く、歩速程度で進んでいると、景観の変化も乏しいため、花の時期に歩いてみたかった気もする。人工物が良く目に付くので、その意味ではまじりっけなしの自然ではないのだけれど、牧歌的な、気分の良い道ではある。

 しばし薩摩カイコウズ街道こと県道56号に付き合いながら広瀬橋を渡り、沢田地区の入り口へ。道標がありながら、それでもなおわかりにくいが、東海自然歩道は車止めのチェーンで封鎖された川沿いの道のようである。上流、すなはち山中に向かって歩いていく。

 結論から言って今回の歩行はここで打ち切りとなった。どうやら林道らしいこの川沿いの道をかなり上の方まで登っていったが、一向に先のコースへのガイドが現れない。岐阜県コースは、愛知県コースのように道標の類が充実していない。ついでに言えば、今日ここまで歩いてきた中で、休憩用のベンチ・テーブルは松尾山の山頂にあっただけだった。愛知県コースのクオリティの高さが、脱出してみてはじめてわかると言うものだ。脱線したが、不審に思って道を引き返してみると、どうやら腐朽してほぼ原形をとどめていない道標のあった辺りから川の右岸の林の中に入るのが正解だったらしい。愛知県の道標は擬木調のコンクリート製だったが、岐阜のは純木製だ。ミスコースのポイントがわかったのは良かったにしても、その先の道は藪化が進んでいる上に手製の頼りない案内表示があるだけだった。

 気温の高さによる体力の消耗は思ったより激しく、舗装道歩きが長かったことから脚の付け根も痛む。養老山系の裾を歩く程度のものとはいえ、ここから先は一応山歩きのフィールドとなる。余力は乏しい。今日はここでコースを離脱することにする。次回のエントリーポイントは名阪近鉄バスの西沢田バス停。しかし、本数がごく限られているため、少なくとも今日の歩行の帰りに使うことができない。やむを得ず近鉄養老線の美濃高田駅まで5kmあまりの道を歩くことになった。おそらく、養老の駅まで歩くのと2〜3km程度しか変わるまい。東海自然歩道が通っているであろう養老の山並みを見ながら、エスケープルートの遠さに辟易する。

 美濃高田駅に止まる列車もそんなに多くない。この路線は自転車ごと乗り込むこともできるようだ。使いようによっては面白い特色なのだけれど、惜しむらくは、東海自然歩道の旅の助けになることはない点なのだろう。
関ヶ原駅前をスタート。

春日神社周辺は、福島正則の陣であったと伝わる。

松尾山山頂への道は、予想に反してハイキングコースしている。

山頂付近にはあずまやがある。

平井集落より先は、山深いだけの県道歩きが続き単調だ。

藤古橋から先も雰囲気は悪くないが、風景の変化に乏しく、進んでいる気がしない。

今回はここで終了も、沢田自体は特筆するもののない集落である。

 
アクセス JR関ヶ原駅より。
ガイド本 ふれあいウォーク東海自然歩道 東海版 風媒社
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