馬籠峠・その2
旧中山道を歩く
■標高:801m
■歩行時間:6時間
■登山日:2013年11月23日




 11:16、馬籠峠の最高地点へ。標高にして801m。南木曽駅や妻籠宿が標高400m前後のところに位置していたから、400mほど高度を上げたことになる。ちなみに、ゴール地点となる中津川駅は標高300mほどの場所である。長野県南木曽町に含まれる妻籠宿に対し、馬籠宿は岐阜県に含まれる。元は長野県山口村だったのが、近年になって中津川市と越境合併したもので、ふとしたところの古い道標などには、長野県時代の名残も見られる。

 地理的な特性から長野県側より岐阜県側との結びつきが強かった旧山口村は、理の必然のようにして中津川市との合併という選択をしたが、当時の長野県知事は「長野県を離脱するなら今後木曽路は名乗らせない」と、恫喝めいたことを言っていた記憶がある。今日ここまで歩いてみて、「長野県だから木曽、岐阜県だから木曽でない」という言説がいかに空虚な物であったか、改めて感じる。当たり前のことだが、木曽路かどうかなどは、現在の行政界ではなく、歴史の問題である。

 馬籠宿には、昼前には着きたかった。そこから見える恵那山を写真に収める際、正午を回ると逆光になり、撮影が難しくなることが考えられたからだが、途中で道迷いなどがあった分、到着が遅れた。時計は正午少し前。真昼の太陽を半ば背負う形になっている恵那山は、もちろん肉眼で目視することはできるが、その山頂付近はうっすら白く雪をかぶっており、もう高山のシーズンは終わったとする私の考えが、正しいものであることを物語っていた。富士山型の端正さはないが、悠然と裾を広げる恵那山の山容は、印象深い物がある、登山対象としては今ひとつ人気のない恵那山だけれど、登る山というより眺める山、眺めているうちに登頂意欲をかき立てられる山なのかもしれない。

 馬籠宿は、坂の宿場町である。石畳の道の両側に、宿場の建物が建ち並ぶ。道は、車一台なら通れる程度の幅員だが、実際そうする車はいないのだろう。到着時間の違いのせいもあるのか、馬籠宿には観光客があふれていた。妻籠宿に比べて街並みが垢抜けているようにも思える。明治や大正の大火で宿場時代の建物の大半が失われており、沿道の建物が新しいせいなのだろう。より素朴な意味での街並み保存に取り組んでいるのが妻籠宿なら、馬籠宿は観光地化を進めることで、現代という時代との調和を図ろうとしている感じだ。

 ちなみに馬籠へは、妻籠より1回多く来ており、今回が3回目である。自サイト内に残る以前の記録を見ていると、当時の私はそのときの馬籠訪問で相当足をやられている。今回はまだまだ快調だ。ちなみに、同じ記録には、馬籠の地名の由来として「馬が越えられないほど険しい峠なので麓に馬を置いて(馬小屋に籠めて)来なければならない、という所からきているらしい」と書いている。おそらく、異説もあるのだろう。五平餅をはじめ、適当な軽食や土産物はないかと物色しながら、結局は何を買うでもなく、宿場を通り過ぎてしまった。

 今日の行程、ある意味ではここから先が本番である。さわやかウォーキングのサイトから落とした中津川〜馬籠コースの地図をスマホに入れてきてはいるが、もちろん詳細図ではなく、概念図というかイラスト地図程度の物だ。本来は、実際のコース上にガイドがあってこそ真価を発揮する。このイラスト図のみを頼りに中津川の市街地へ下っていくのは少々心もとない物もあるが、推測するに、旧中山道=中部北陸自然歩道をそのままトレースするもののようである。12:05、標なき道へと踏み出す。

 このあたりの道は、再び普通の生活道路の様相を呈してくる。ただ、折々に中部北陸自然歩道の道標が設置されているので、意外にコースを外す心配は少なそうだ。最悪、中津川市街が視界に捉えられるまでに至っているので、道に迷って帰れなくなることはないのではないか。また、生活道路とは言いながら、のどかな山村中の道でもある。今朝方の寒気は緩み、風もなく、歩いていて気持ちの良いコースではある。木曽川の向こうには、姿の良い山もあり、少し気になる。二ツ森山か。東濃の山、と言うよりは裏木曽の山とすべきところかもしれない。いずれにせよ、これからの季節に的にしていくには不利な場所ではある。道中には馬籠城の跡などと言った看板もあり、それなりに古くから人の暮らしの痕跡があったらしいあたりは、やはり古道ならではといったところか。

 12:26、新茶屋を通過。現地に着くまで全く意識していなかったのだが、この場所には島崎藤村筆の「是より北木曽路」の碑がある。10年前、国道19号トレースをした時に、馬籠宿と共に訪ねたことがあったのだが、こんな場所だったか、ほとんど記憶にない。と言うより、今目にしている碑が、その時に見たのと同じ物であるかどうかさえ自信がない。事後、当時の記録を辿ってみると、「新茶屋にある碑を訪ねた」旨が明言されているので、間違いなく同じ物だろう。他愛無い旅行記でも、残しておくとこういうときくらいは役に立つ物である。付近には、一里塚もある。また、信濃と美濃の国境もこの近傍にある。

 新茶屋付近は、集落と言うには民家が少ない。そうした事情もあってか、少し進むと落合の石畳に差し掛かった。これぞ古道と言う雰囲気の道ではあるが、多くは復元整備された物で、部分的に現存箇所が存在すると言った状態のようである。ただ、現存箇所と復元箇所の境界が良く分からない。そんな中を、歴史の重みを踏み締めるような気分で歩く。道端には「TBS連続ドラマロケ地 浅見光彦〜最終章〜 木曽編」と書かれた看板がある。地元観光協会の類による物かと思いきや、中津川市観光課の名が出ている。放映は4年前のちょうどこの時期。辛うじて記憶があるが、歴史に名を残すほどの連続ドラマではなく、時間が経てば何のことやら分からなくなりそうな看板である。

 木立に囲まれた石畳区間を抜けると、間もなく視界が開ける。いつの間にやらかなり高度を下げていたらしく、中津川市街が意外なほど近くに見える。そこから少しで落合宿へ。いやむしろ、落合宿跡と言うべきか。明瞭な史跡などはなく、高札場跡の石柱が見つけられた程度である。そこから少しで国道19号に合流。

 実はこの先が今回のハイキングで最大の難所(?)となった区間である。一応、JRのイラスト図を元に、旧中山道と思しき道から着かず離れず歩いていったのだが、これと言う史跡もなく、と言って町並みが古く行き止まりの多い街区を抜く形になったため、行きつ戻りつの道行きとなった。早い話、迷子だかなんだか分からない状態で駅を目指す形になった。中津川駅のおおよその方向は分かるから、本当に進退窮まるような感じではなかったが、無駄に歩いた気はする。そんな街中歩きの時間がおよそ1時間。終わってみればわずかに1時間だったのかと言う気がしないでもないが、14:10中津川駅着。大人しく19号沿いに歩けばもう少し早くつけたのかもしれない。

 道の単調さもあり、実は最も疲労したのが落合宿〜中津川駅の区間だった。余裕があったら中山道広重美術館にでも行ってみようかと思ったが、さすがにそこまでする気にはならなかった。
馬籠峠を越えて間もなく見えてくる恵那山の姿は印象的だ。

馬籠宿の建物は全体に新しい。その経緯については本編を参照のこと。

高低差の大きさが特徴的な宿場町だ。

むしろ馬籠宿の先のほうが、平坦な農村地帯になっている。

「是より北木曽路」の碑。藤村の手になり、贄川の「是より南」の碑より大分新しい。

落合の石畳。

中津川の町並みが近づき、ゴールも近づいた…かに見えた。

旧道トレースは完遂できなかったが、どうにか中津川駅に着。

 
アクセス JR南木曽駅またはJR中津川駅より。
ガイド本
関連サイト

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