乗鞍岳
お手軽3000m峰
■標高:3025.6m
■歩行時間:2時間10分
■登山日:2013年10月14日

    乗鞍岳は北アルプスの最南部、岐阜県と長野県の県境付近に位置する標高3025.6mの山である。俗に3000m峰などと言うが、山国日本の国内でも3000m以上の標高を誇る山と言うのはそんなに多くはない。そんな中で乗鞍岳は、上から数えて21番目となる高峰である。さりながら、乗鞍スカイラインにより2700mの畳平まで車で上がることができるため、ロープウェイで山頂直下まで登れる木曽駒ケ岳などと並び、俗に「ハイヒールで登れる3000m峰」などと呼ばれることもある。なんとも揶揄めいた響きはあるが、さすがに山頂まではハイヒールで登れない。なお、乗鞍スカイラインについては2003年までは一般車の乗り入れも可能だったが、周辺自然環境の悪化を理由に、現在ではバスを初めとする許可車両が出入りできるのみとなっている。



 蓼科山に登った後、電車にバスを乗り継いで平湯温泉に移動。その一隅にある穂高荘倶楽部で一夜を明かしたのだけれど、明け方にリラクゼーションスペースでまどろんでいると、すでに行動を開始しているらしい人がいる。一方でまだ寝ている人もいる5時過ぎと言う時間帯なのに、声が高い。私が乗ろうとしている乗鞍行きのバスは、6:40平湯温泉発のそれなので、まだ行動を開始するには早いのだけれど、もう一度眠ると寝過ぎそうな気がしたので、朝風呂に入り、適当に時間を調整した。それにしても彼らはそんなに早く起きて何をしようとしていたのか。後になって分かったところでは、上高地行きのバスには5時台のものがあったようだ。

 朝っぱらから露天風呂に浸かっていると、早朝の時間帯でありながら思ったより空が明るい。その様子に何となく気分が落ち着かなくなり、身支度を済ませて平湯バスターミナルへ。ようやく6時を過ぎたかと言う時間帯だが、バス待ちの乗客が予想外に多い。彼らは一体どこから湧いて出たのか。考えられるのはまず、近場の宿なのだけれど、平湯温泉の宿と言えば、どこもそれなりにお高い旅館である。その高めの料金設定の一部になっていると思われる朝食をフイにしての行動開始だとすれば、剛毅な話ではないか。もっとも、乗鞍・上高地にはマイカーでは進めないため、大半の登山者は近場の駐車場などに車を停め、バスに乗りかえ先を目指すことになる。多くは、遠くからやってきたそういう登山者なのかもしれない。バスを待っていると、バス会社の人が、昨日の乗鞍山頂が10時時点で気温1度だったと教えてくれた。平地の真冬程度の気温だ。当然防寒着は持参しているので、それで対応できるだろうが、今シーズン初めての気温なので若干心細さは残る。

 高山市街から良く見えるせいで岐阜県の山であるとのイメージが強い乗鞍岳にしてみれば意外なことだが、高山から乗鞍へ直通のバスは存在せず、平湯峠の丹生川側にあるほおのき平バスターミナルで乗り換える必要がある。そして平湯温泉発のバスも、結局はそのほおのき平を経由して畳平に向かう直通バスである。所要時間はおよそ50分。平湯からのバスも高山市内を拠点とする濃飛バスの路線であるだけに、なおさら高山市内からダイレクトで来れないのが意外である。バスの車中では、ある意味非常に濃飛バスらしい、ニコニコ動画で聞けそうな合成音声で、沿線の景観や自然環境に関する車内放送が流れる。植生やライチョウの話、播隆上人に関する話などバラエティに富んでおり、車窓からの光景もそれにちなんで移ろっていくが、やはり白眉は車窓からの山岳眺望の素晴らしさだろう。一番近くの名のある山と言えば焼岳で、これは当然印象深いが、高度が上がるにつれその向こうに笠ヶ岳や槍穂高が次第に姿を現してくる。反面、高度が上がるほどこれらの山からの水平距離は遠ざかって行くので、大分印象が変わるのも事実だ。

 7:30に畳平駐車場着。20年くらい前に一度家族旅行で来ているはずの場所だが、そのときの記憶がいまいち鮮明ではない。親父がビデオカメラを置き忘れてきたことは覚えているのに、場所について最初に抱いた感想は、「ここが4年前にクマが大暴れした…」というものだった。思っていたよりは狭い駐車場である。ここにクマが闖入してきたとなれば、その衝撃は大きかっただろう。もっとも、それから少しすると今度は、「この周辺にクマが暮らすような場所があるのだろうか」という疑問を持つことになる。くだんのクマはスカイライン側にあたる魔王岳の山腹方向から現れたのだと言う。一説に老翁に棒で打ち据えられたことからかえってパニックに陥ったクマは、山道から人の多い駐車場に乱入したとも言われている。魔王とクマの取り合わせから、何となく赤カブトを思い出す。

 さて、高山ではありながら非常にメジャーな登山対象となる乗鞍岳であるだけに、数多い登山者たちは少しも迷うことなく、皆が同一方向に向かっていく。コインロッカーを見つけて死重量を放り込んでから先を目指そうと思っていた私も、ロッカーの使用料の割高さに方針を転換し、カバンの中からダウンジャケットを取り出して羽織った以外は、そのままの格好で彼らの後を追うことになった。7:40の登山開始である。

 今回のガイド本は、一応ヤマケイ分県登山ガイド岐阜県版と言うことになるが、かなり楽をしたコースプランニングで、要するに畳平から乗鞍山頂まで行って帰ってくるというそれだけのものである。この点が下山路を乗鞍高原側に取るガイド本とは違う。道順も至極単純で、畳平から延びるそれらしい道を歩き、富士見岳、不消ヶ池などをやり過ごしながら、コロナ観測所を迂回して肩の小屋までたどり着いた。ごく序盤にちょっとした登りがあったことを除けば、ほとんど平坦路と言って良い20分ほどの道のりである。

 山登りらしい道が始まるのはここから先のことで、目指す乗鞍最高峰・剣ヶ峰は、その頂に乗鞍神社の社を祀っているのが見える。畳平の標高が約2700mで、乗鞍の山頂が3000mあまりである事を考えれば、高度差は多く見積もって300mほどのはずなのだが、思っていたのたよりは遠く見える。白山室堂から白山山頂までの道のりが、近くに見えて割と手ごわかったのが思い出される。あの時感じた以上の標高差が、目の前に存在しているように見える。しかも、斜度も割ときつそうだ。

 いざ歩き出してみると、岩がごろごろとした結構歩きにくい道である。しかも道幅があまり広くないため、前方に団体客がいると追い越すこともできない。ことに、年配のリーダーを先頭に重い足取りで歩く二十人からのパーティーのごときは、沈鬱な雰囲気の中で押し黙ったまま山を登っているから、亡者の群れのようである。まあ、亡者の群れでも死神の列でも何でも良いが、せめて道を譲ってくれればと思うのだけれど、そんな余裕もないのか、不思議とそうはしてくれない。ことに、自然保護の必要が叫ばれる高山のご多分に漏れず、乗鞍岳も登山道以外への立ち入りが厳に禁止されているからどうしようもない。それにしても、道中のそうした意味の警告看板には、日本語以外に中国語やハングルでの注意表示もなされていた。アジア系外国人の登山者が増えているのを感じると共に、立山のミクリガ池周辺で平然とハイマツ林の中に入り込んで記念撮影をしていた中国人集団のことが思い出された。

 登り始めて25分。標高は徐々に高まっていき、蚕玉岳直下で「頂上小屋まで約1000歩」と表示された看板を見つけた。面白いことに「足元と熊にはご注意」と書かれており、看板自体も爪を生やしたクマの足型を象っている。改めて気づくと、フォントこそかわいらしい系のもので表示されているが、それ以外は警告文そのままに、何か禍々しい看板である。それにしても、クマはこんなところも生活圏にしているのだろうか。餌があるのだろうか。いずれにしても、看板がある以上実在するのであろう乗鞍のクマは、非常に人の気配の濃密なエリアに暮らしていることになる。だからかどうか、道行く登山者の中には良く見る熊鈴を装着している者が少ない。あの鈴自体は、人の気配を先にクマに察知させることで、相手方が敬遠してくれることを期待するものなので、こんな場所で人の存在を知らしめるも糞もあったものではない道理だ。もっとも、そうした中でも鈴を装着している人がいるのも事実で、これなどは実効性はさておき、惰性と言うか習慣になっているだけのものなのだろう。

 それから間もなく、頂上小屋の前を通過。頂上小屋とは言うものの、剣ヶ峰の山頂はさほど広くないところに乗鞍神社の社が立っているだけで目一杯の状態であるため、この小屋は山頂直下のような場所に位置している。そこから5分とかからず、8:37に山頂へ到達。

 長かった。登り初めからが長かったのではない。乗鞍登頂を心に期して、今まさにこの場所に立つまでが長かった。今年の夏を迎え、夏山登山のハイシーズンを迎えて以来、二度も乗鞍登山に向けて動いていながら、その二度ともが着手寸前まで来て悪天候により登山断念に追い込まれている(立山編、西穂独標編参照)。今日、ついに頂を踏んだ乗鞍の上空は、高く青く晴れ渡っている。大気が若干湿度を帯びているのか、遠景には薄い靄がかかっているようでもあるが、北に位置する焼岳、穂高岳などははっきりとその姿が見える。さすがに今シーズンの高山帯はこれでもう山終いだが、今回でピンポイントの好天を狙う登山旅行の北アモデルも得たことだし、来期は焼岳登山から始めようか。

 北アルプスの主峰が連なる北方の反対側、南方には、やはり御嶽の山体が見える。その間に見えるはずの野麦峠は、位置を特定できなかった。現在では限りなく廃道に近いとは言え、野麦峠から乗鞍岳への登山道も存在すると言うから、その道のりの遠さが思われる。少なくとも、畳平からここまでの比ではない。東方に見える高台状の山は、あまり知識がないが、霧が峰なのだろうか。

 雄大な眺めである。が、下を見やれば、次々と新手の登山者が山道を登って来ている。私などは早いうちに行動を開始したほうだから、人はこれからどんどん増えていく一方だろう。あの狭い山道でこれだけの人の群れとすれ違うのは難儀しそうだ。一団の人の群れが間近に近づいたのをきっかけにして、去りがたい乗鞍の山頂を後にした。予想に違わず、山頂から肩の小屋までは、人とのすれ違いに時間を取られ、ほとんど登りに費やしたのと同じだけの時間をかけて下ることになった。畳平まで戻ると、ちょうど平湯行きのバスの時間が迫っていたので、これに乗車。秋の乗り放題パスを使っての旅である。急いで戻っても高山から名古屋まで戻る鈍行の本数の少なさから、高山市内で足止めを食うことになるのではないかとの懸念はあったが、ほおのき平で高山濃飛バスセンター行きのバスに乗り換え、時刻表を確認してから、その予想が確定的なものとなったことを知った。

 思えば、2013年が明けて早々から、準備を含めて東奔西走し続けた乗鞍登山だった。駆け回った日々の中には、良いこともそうでないこともあったが、今高山の街へと駆け下る濃飛バスの車中で思い出されるのは、不思議と「そうでないこと」の方である。そして、いくらかの感傷を伴って記憶の蘇るそれらの日々と共に、今乗鞍岳が次第に遠ざかっていく。
畳平まで1時間に満たない道だが、はるけくも来つるものかなの思いがある。

乗鞍への道から畳平を振り返る。

肩の小屋を目前にして、乗鞍の頂が見えてきた。

もともと土の道ではなかったが、石の転がる山道が始まる。

名は体をあらわす、馬の鞍のようになだらかな部分のある山体だ。

コロナ観測所の向こうに北アルプスの核心を見る。秋のわりに霞んでいる。

蚕玉岳から山頂を見る。

乗鞍本宮。

最高所剣ヶ峰。うっすら見えるのが御嶽山。

 
アクセス ほおのき平などからシャトルバス。ほおのき平まではJR高山駅から濃飛バス。松本方面からもアルピコ交通バス平湯温泉経由でほおのき平へ乗継可能。
ガイド本 新・分県登山ガイド[改訂版]20 岐阜県の山 山と渓谷社
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