飯盛山・その1
中馬のおひなさんと足助の里山
■標高:254m
■歩行時間:2時間
■登山日:2012年2月26日

    足助の町は、三河沿岸部と伊那谷、ひいては塩尻を結ぶ、いわゆる「塩の道」沿いに開けた、歴史ある宿場町だ。特に足助に関して言えば、平野部と山間部の接点付近に位置しているため、平野部を縦横に走る街道が、狭い山襞に入る際、一筋に収斂していくポイントに当たるため、街道上の一通過点と言う以上の意味があった。「中馬」とは、この街道上を、馬に荷を背負わせて往来した運送業者のことだ。そこから、三河と伊那を結ぶ街道のことを、「中馬街道」と呼ぶこともある。飯盛山は、その足助の町の主要部を見下ろす里山である。街道の発達する近世よりも前、戦国時代の話ではあるが、その山上には飯盛山城と呼ばれる城も築かれていた。



 足助の町の主要観光スポットと言えば、香嵐渓である。東海地方有数の、紅葉の名所として知られる。それは今も昔も変わらないのだけれど、足助の偉かったところは、平成不況に突入し、ヘビセンターのような、前時代的観光施設が閉鎖されていく中、先進的な試みに挑戦することで、年間を通じて観光客を呼び込もうとし、それがこれまでのところ一応の成功を収めているところだ。この10年ほど、この時期に開催されている「中馬のおひなさん」もそうした試みの一つである。

 中馬あるいは中馬街道と、雛人形の間に絶対不可分の結びつきなどないとは思うのだが、街道沿いの古くからの街並みに位置する商家・民家が雛人形を展示するこの催しは、年代物の雛人形が、駄洒落ではないが鄙の素朴な暮らしを連想させる小道具として、格好の材料だったことから始まったのかもしれない。あるいは、わりと古い家が多いことから、数百年物はざらにないとしても、数十年前の雛人形がわりと良い状態で保存されていた事から企画されたものか。

 前置きが長くなったが、これを見に行ってきた。足助に、色々とペンディングが増えてきたと言う事情もある。寧比曽へのアクセス基地としての下見、飯盛山城攻城、ししなべの店・井筒亀の様子見、三州足助屋敷の見学、サイクリングの目的地とした場合の周辺道路状況偵察等々。飯盛山については、「愛知の130山」のうちの一座ともなっているし、まあ消化試合的なものになるが、一応登っておこうかとも思った。

 足助は、元は東加茂郡の町だったが、2005年に豊田市の一部となった。従って、豊田市中心部からのアクセスが主流なのかと思いきや、路線バスによる移動を考えた場合、名鉄東岡崎駅前からのそれの本数の方が多い。名古屋市内から東岡崎駅に行く手間と、豊田市駅に行く手間を比べれば、まずは後者を選びたくなるのだが、時間帯によってはそうも行かないようだ。仕方なしに8:30過ぎに家を出て、東岡崎駅に降り立ったのが9:47。ここから香嵐渓など、足助界隈まではバスで1時間強。待ち時間もあったため、足助にたどり着いたのは11:20のことだった。このバス代が800円で、そこまでの電車賃も合わせて考えれば、時間もかかるが金もかかると言わざるを得ない。

 香嵐渓は冬枯れである。秋には紅葉で真っ赤に染まるが、考えてみれば、落葉樹であるモミジの類がそれだけ大勢を占めていると言うことは、冬の時期この界隈の木々は、丸裸になると言うことだ。変なところに感心する。

 バス停としては足助学校下で下車し、飯盛山の裾を巻いて、搦め手から足助屋敷にたどり着いた。実は、足助城と飯森山城を混同した状態で地図を読んでいたため、かかる事態を招いたのだが、どうもこのあたりの城では飯盛山城がハブになっているようなので、最終的に今回は、足助城をパスして、飯盛山=飯盛山城を取ることにした。それは後に語るが、まず三州足助屋敷である。近くまで行くと、炭焼きの煙が濛々と立ち込めていたが、ゴミを野焼きするようないたずらに煙たいだけの煙ではなく、燻製を思わせるわずかな芳香も感じられる。

 一見、よくある移築古民家風の佇まいを見せる足助屋敷だが、実際には昔ながらの農村の暮らしを再現するため、新築された農家家屋群である。ただし、白川郷などとは違い、展示の中心となるのは建物の方ではない。日本家屋はあくまで入れ物に過ぎず、これらの建物を舞台にして、職員が自給自足の農村の暮らしを実演しているところが特色だ。ここでは、木地師、鍛冶師、番傘張り、機織、紙漉きなど、ある種雑多な手仕事の実演が行われている。これらは今で言う伝統工芸の類だが、伝統的に足助で発達してきた手工芸と言うわけでもなさそうだ。なお、出来上がった品は、実際に販売されている。

 一通りの見学を終えて、足助屋敷を後にすると、川沿いに足助の街並みの方へと移動。途中に香嵐渓のルーツとも言える香積寺があるが、今回は立ち寄らず、国道153号まで抜ける。シーズンなら大変な人で賑わうところだろうが、香嵐渓は「おひなさん」が催されている足助の街並みからは離れているため、この時期は訪れる人も少ない。

 飯盛山への登り口は、香積寺にもあるようだが、この国道沿いにもある。春先になれば多くのカタクリが自生する里山として、人々の訪れのある飯盛山も、今の時期は香嵐渓と同様、冬枯れの山である。ただの一人として、登山道を歩いている人はいない。

 飯盛山は足助の町の南側にそびえている。登山道とは言うものの、丘と言うには少々高い程度の山で、登りはじめてから山頂までは10分ほどの道のりでしかない。山頂付近が飯盛山城の遺構を留めてはいるが、三段削平が分かる程度で、例えば虎口跡が残されているとか、空堀、土塁、はたまた石垣などが認められるとか言うわけでもない。それらしい地形もあるにはあったものの、遊歩道整備の時にかなり手が入っていそうなので、純粋に城郭遺構と呼べる地形なのかどうか、判然としない箇所が多い。

 飯盛山の山頂は木々に囲まれている。とは言え、繰り返しになるが、冬枯れの時期だったので、一応は足助の街並みが箱庭のように展開されているのが見えた。さすがに妻籠・馬籠レベルで街道時代の街並みが残っているとは思っていなかったし、以前やって来たときの記憶からもそれは期待していなかったのだが、山上から見下ろす限り、山間に営まれている以外は、思ったより普通の住宅地に見える。
三州足助屋敷入口。

中では山村の暮らしが再現され、鍛冶屋などの他に牛も飼われていた。

飯盛山頂付近は、何段かに均されている。城跡の名残だろう。

足助の市街地に下っていく。

 
アクセス 名鉄豊田市駅より名鉄バス「香嵐渓」下車。
ガイド本 新・こんなに楽しい愛知の130山 風媒社
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