小牧山
市街地の城山
■標高:85.9m
■歩行時間:40分
■登山日:2012年1月15日

    小牧山。往古、織田信長が居城・小牧山城を構えた山である。小牧山城は、清洲城から岐阜城への橋渡しとなる城であり、美濃攻めのための城と言う性格が強い。そしてその知名度の低さが物語るように、信長自身の居城としては短命だった。しかし、それから二十余年の後には、世に言う小牧長久手の戦いの一戦場となっている。標高は85mほどしかなく、周辺地からの比高という事になれば、もっと低くなるであろうことから、山と言うよりは丘とするべきなのかもしれない。勢い、この微高地は、山としてよりも史跡として紹介されることが多い。



 再三再四書いてはいるが、愛知県は低山県である。さりとて、登るに適した山がないというわけではなく、三河地方、特に奥三河と呼ばれる地域を中心に、軽いハイキング気分で挑むにはタフな山までも、存在している。が、話を尾張地方に限ると、事情は随分変わってくる。

 三河に対し、愛知県の西半分と言うことになる尾張地方には、国内では関東地方に次ぐ広さの濃尾平野が広がるが、言い換えれば、平地ばかりで山がない。そのため、地域密着型の登山ガイド本からは、それでもこの地域から適当な山を見繕おうと、苦心している様も読み取れる。「山登ってみよう」の種本の一つ、「愛知の130山」とても、例外ではない。ガイド本の類は、三河との境界、及び岐阜県境の山を尾張の山として計上していることが多く、「愛知の130山」も勿論そうなのだが、この本の場合、知多の山を紹介している他、小牧山をも尾張の山の一部に含めているのが目を引く。かつて信長がこの山に城を築いたのも、山のない濃尾平野において、唯一と言うのに近い独立丘だったという事情がある。

 正月、怠惰な生活をした。また、昨年の御嶽山ほど固い決意を持っているわけではないが、今年中、出来れば石鎚山、恵那山、富士山と言ったところを制覇したいと思っている。そのため、徐々に体作り・足慣らしをしたいのだけれど、適当な山がない。そこで今回は、子供の遊び場程度の山でしかないけれど、今年の山初めとして、小牧山に登ってみることにした。

 あまりに易しい山であるため、少しでも疲れるため(?)、名古屋から自転車で移動。国道41号沿いを北上する。行きは一応向かい風になるので、黒川辺りから小牧山麓まで1時間程度はかかったが、追い風の帰りは30分強で戻ることが出来た。サイクリングにもちょうど良い距離となるだろう。41号は、ひたすらまっすぐな道で、広い歩道がありながら、歩行者もあまりおらず、自転車にも走り易い。

 小牧山は、山そのものが国指定の史跡となっている。小牧市役所の裏手に控える里山で、雑木林の中を幾筋もの遊歩道が走っている。史跡散策路だったり、自然探勝路だったり、あるいはマラソンコースだったりと、性質の異なる道が山そのものを周回する形で巡らされている。高さがないから良いようなものの、単純に山頂を目指そうと言う時には、一本道でないだけに、存外に複雑な登山道となる。

 城跡としてこの山を見た場合、搦手口にあたる北側駐車場に自転車を停め、時計回りに山すそを周回しながら山頂への道を探したところ、結局、真逆に当たる市役所側まで回り込むことになってしまった。そこから、擬木階段を上り、山頂へ。まっすぐ登れば10分とかからない道のりである。途中、道が狭くなっている箇所は、両側に雑木が迫り、街中の山とは思えない雰囲気もあるにはあるのだが、総じて市民緑地の趣だ。

 山頂には、天守閣を模した資料館があり、同時に展望台の役割を果たしているが、史実に基づき復元された復元天守の部類ではなく、昭和築城が盛んだった時期に数多く建てられた、模擬天守の範疇に含まれる。史実性という事で言えば、山頂直下にある旧石垣の露頭の方が、この山がかつて城砦であったことを雄弁に物語っている。この区画を中心に、近年では、城跡の発掘調査も進められているようだ。従来、小牧市民憩いの場として、一般的な都市公園としての色彩が濃かった小牧山は、名実共に史跡公園となるべく、再整備の方向へ舵を切っているようだ。
一般に小牧山は登山の対象ではなく、史跡の扱いを受ける。

場所にもよるが、こんな感じの散策路がめぐらされている。

信長時代の石垣と推定されている。同時代の物としてはかなり規模が大きい。

資料館。現在の法律では、史跡には歴史考証に史実でない建物を建てられない。

 
アクセス 名鉄小牧駅より。
ガイド本 新・こんなに楽しい愛知の130山 風媒社
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