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高野山奥の院
戦国武将たちの眠る地を訪ねる


 戦国武将と宗教界、分けても仏教界との関わり合いは複雑だ。しばしば死と隣り合わせの戦場に立つ武将にとって、宗教に心の安寧を求める風潮があったと、ステレオタイプに語られることも多い。しかし、大名クラスになるともう少し打算的で、時に強大な権力を持つ宗教界を慰撫するため、形式上、各宗教に帰依する形をとり、浄財を納めたりすることがあった。そのため、武将の信仰心の実態と言うのは、今となっては推し量りがたい部分もある。

 その中にあって、極めて特異な存在と言えるのが、現在も和歌山県の山中に、日本仏教の聖地として存続している高野山である。戦国武将がこの聖地に対し、しばしば金品を寄進した逸話も残されているが、特に戦国史を愛好する人々にとって重要なのは、この地に現存する夥しい数の大名・武将の墓だろう。墓があるのは弘法大師廟のある奥の院に続く参道沿いで、Wikipediaによれば、「皇室、公家、大名などの墓が多数並び、その総数は正確には把握できないものの、20万基以上はあると言われている。戦国大名の6割以上の墓所がある」のだそうだ。なお、一帯にある全部が全部、中近世以前の墓というわけではなくて、周縁部には、近現代史の礎となった人の墓所もある。戦後となると、よく名前を聞く有名企業が、会社によく貢献した先人たちの慰霊のために、墓碑を建立している例もある。

 話を戦国武将に戻すと、ここには比叡山をはじめ既存仏教界に対して苛烈な姿勢で臨んだことで知られる織田信長の墓もあれば、彼を弑逆した明智光秀の墓もある。もちろん、光秀を討った秀吉の一門の墓もある。秀吉本人の墓がないのは、彼が死後神となったからか。家康の墓が見当たらないも、同様の理由なのかもしれない。信長にとって一時の脅威となり得た武田信玄の墓もあれば、そのライバルであった上杉謙信の廟もある。日本各地で戦乱の絶えなかった戦国時代ではあるが、高野山奥の院には、生前に色分けされた敵と味方の全て内包する、一種独特の精神空間が広がっている。




織田信長

豊臣家

武田信玄・勝頼

明智光秀

上杉謙信

河野通直

石田三成

伊達政宗

結城秀康石廟

榊原康政

森忠政

加賀前田家

薩摩島津家(家久・光久)

薩摩島津家

小田原北条家

筑前黒田家

長州毛利家

阿波蜂須賀家

安芸浅野家

浅野内匠頭


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