義兄弟の相克と献茶三杯の城。
横山城
所在地
別名
滋賀県長浜市堀部町
:なし
築城者
築城年
:京極氏?
:不明


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■典型的「境目の城」

 横山城は、それ自体はさほど目立つ城でもありません。一般には、長浜城主になる前の木下秀吉が城番を務めた城として、そしてその城番時代に秀吉が石田三成に出会った場所として、名前を知られています。
 元々は江北を本拠とした京極氏によって築かれたと考えられていますが、京極氏が小谷城の浅井氏に追われると、横山城は江南の六角氏をけん制する浅井氏の前進基地となって行きます。異説では浅井長政自身によって築かれたとも。
 永禄年間、浅井長政は織田信長と結び、その信長が六角氏を追ったことで横山城の役割も一応は終わったかに見えましたが、後年になると浅井と織田は袂を分かつことになり、長政は小谷城防衛のために、信長は小谷城攻略のために、何としても横山城を手中に収める必要が生じてきます。城はまた、美濃と江北の中継点ともなり得る場所に築かれていました。

■姉川の戦い

 浅井方の防波堤となっていた横山城が、織田軍によって落とされたのは、元亀元年(1570)の姉川の戦いの後のことでした。織田と徳川、浅井と朝倉、それぞれの連合軍の決戦となったこの戦いにおいて、横山城は織田徳川連合軍の兵力の一部を引き受けてその攻撃に耐え抜いていますが、横山城攻めの兵力が城攻めを中断して主戦場に駆けつけたがために、決戦は織田徳川方の勝利に終わったと言われています。
 戦いの後、ひとまず浅井氏を小谷城に押し詰めることに成功した信長は、改めて横山城を攻め落とし、既述のように秀吉を城番として、浅井氏の監視に当たらせました。もっとも、浅井は完全に力を失ったわけではなく、浅井氏の打倒までには横山城の攻略からおよそ3年の歳月を要しました。その間、横山城は小谷城に対して睨みを利かせ、信長は浅井の勢力を削り取る調略に腐心することになります。

■江北の史跡を訪ねて

 現在は石田山公園の一部となっている横山城ですが、純粋に城跡として見る場合、さほど目をひく遺構が残されているわけではありません。小規模ながら土塁・堀切が残されている程度です。しかし、山頂から見下ろせる姉川の古戦場、石田三成の生家があったと伝えられている山麓の旧石田村界隈、そして石田村の反対側、寺小姓時代の石田佐吉が、鷹狩りの帰りの秀吉に三杯の茶を献じたとの言い伝えがある観音寺など、周辺には有名無名の史跡が点在しています。城跡には、これら戦国武将たちの足跡をたどる中で立ち寄ると良いでしょう。
 なお、低山ながら展望には恵まれた城跡で、本丸からは前述の古戦場や小谷城、琵琶湖、そして伊吹山の山体なども見渡すことができます。

(2010年02月07日 初掲)















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