出羽の古豪・小野寺氏の城から佐竹氏の属城へ。
横手城
所在地
別名
秋田県横手市城山町
:朝倉城、平城など
築城者
築城年
:小野寺通有
:正安2年(1300)


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■小野寺氏の三百年

 横手城は、出羽の豪族小野寺氏により、正安2年(1300)に築かれたものでした。小野寺氏は、源頼朝による弟・義経追討に端を発する奥州藤原氏征伐に功あって、出羽の所領と地頭職を得ました。
 以後、鎌倉幕府から室町幕府の世へと移り、やがて戦国時代が到来するに至っても、この地に勢力基盤を保ち、当主景道の頃には、南の最上氏に対抗できるほどの勢力を得るに至ります。しかし、その跡を継いだ義道の時に失政が目立ち、豊臣秀吉による奥州仕置きに際して所領を削られ、関ヶ原の戦いに至っては、西軍に味方して、改易の憂き目にあっています。
 鎌倉時代から安土桃山時代末まで、一時的な小野寺氏家中の内紛に巻き込まれこそすれ、横手城は本質的には小野寺氏の持ち城であり続けましたが、同氏の改易後は、久保田城に入った佐竹氏の城代が預かる城となります。元和の一国一城令制定後にあっても、佐竹氏の属城として存続しましたが、戊辰戦争で焼失・落城。明治時代を迎えました。

■模擬天守のある城

 昭和築城の比較的小規模な城で目に付く傾向がありますが、日本全国津々浦々の天守閣写真を集めた展示物と言うのが、しばしばあります。ここに出てくる天守閣というのは必ずしも現存天守である必要はないようで、中には模擬天守の城の写真までも掲示しているケースも少なくありませんが、東北にはどういう形であれ天守閣の存在する城が少ないらしく、エリア別に見た場合の層の薄さは否めません。
 そうした中で気を吐いているのが横手城天守閣で、層の薄い東北勢の一画を担うかのごとく、写真が飾られているのを見ることがあります。そういう場面での横手城は妙に存在感があり、ゆえにこの城はいつしか、何となく訪れてみたい城の一つとなっていました。もっとも、前述の通り横手城天守は幕末に焼亡しており、今あるのは残念ながら模擬天守で、建っている場所も史実に忠実というわけではないのですが。
 城跡としては、出色のものが残っているわけではありません。公園として整備が完了しており、曲輪の跡は分かるのですが、例によって城郭時代からの地形なのか、後年の公園工事時に手を加えられた地形なのか、判然としない箇所も多いのが実情です。
 とは言え、高台にある横手城模擬天守は、横手市内では比較的良く目立つ建物となっているのも事実で、この町のランドマークとなっているのは確かでしょう。

(2011年11月17日 初掲)















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