珍しい玉石垣の城。
横須賀城
所在地
別名
静岡県掛川市西大渕
:なし
築城者
築城年
:徳川家康
:天正6年(1578)


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■玉石垣

 静岡県の片田舎、旧国名で言うと遠江国の東端付近の海岸近くに位置する横須賀城は、決して出かけやすい場所にあるわけではありませんが、高天神城見学のついでなどで、何度か訪ねたことがあります。そしてその都度、何か名状しがたい違和感を感じたことも覚えています。
 ちょっと注意してみれば、その違和感の原因は明らかで、この城の石垣には、普通の城ではちょっと見られない、丸い玉石が用いられています。最初に見たときは、考証の粗雑な模擬復元の類だろうと思っていたのですが、後に知ったところによれば、現在の城跡には発掘調査によって見つかった建造当時の石垣も残されており、そもそもその石が丸いのだと言います。そしてその石は、近くを流れる天竜川から集めてきた石とのこと。下流域の川原にある石は丸い。小学生の理科レベルの話ではありますが、さて…。

■丸くてはダメなのか

 一般に城の石垣の進歩は、自然石を積み上げただけの野面積みに始まり、自然石に多少の加工を施し隙間を減らした打ち込みはぎ、ほぼ全ての石について十分な整形を施して石同士を密着させた切り込みはぎと進んでいきます。石垣に対する整形は、見た目を美しくすると共に、高く急勾配の石垣を築くために求められたものですが、積み上げられた石垣の、外的要因に対する強度については、見た目ほど大きな差はないようです。一方、石材同士の隙間が少なくなるということは、新たに排水の問題を生むことにもつながりました。
 後年になって見られるようになった、より高度な石積み技法を有している方が、城郭建築術の幅が生まれるのは言うまでもありませんが、要は必要とされる箇所に必要な技術を投入することが肝要ということになるのでしょう。
 翻って横須賀城の石垣は、一段がべらぼうに高いわけではありません。自然の丘陵を何段かに均したため、それで済んだのでしょう。城跡は現在、かつての縄張りをおおよそ忠実に残しながら公園として整備されていますが、そもそも石垣が高くある必要もなかったようにさえ見えます。
 城の部材調達は、築城において重要な課題の一つであって、それはもちろん石垣のための石材であっても例外ではありません。工数を減らすため、墓石や石臼までも徴発して石垣を築いている城を見たこともありますが、おそらく実用に耐えうるものと判断して、そこに川石を用いた横須賀城からは、築城という事業の事務的側面が見えてくるような気がします。

■その来歴

 横須賀城は、遠江国内において武田氏と勢力争いをしていた頃の徳川氏が、前述の高天神城に対する押さえのために築いた城です。目前に海の迫る丘陵と言う、自然地形を生かした縄張りの城でした。もっとも、この城に本格的な交戦の記録はないようです。海岸線は、宝永地震の影響で築城当時より後退しており、現在は海城かそれに准する性質を有した城の面影は見られません。
 武田方の要衝を監視する拠点として始まった横須賀城でしたが、武田氏の滅亡後も廃城となることはなく、同国内にある遠州浜松城が徳川氏にとって特別な意味のある城だったことも影響してか、これを取り巻く小藩の藩庁となりました。江戸時代前半までは、譜代や将軍家一門など、小身ながら高位幕閣という小大名間を中心に目まぐるしく城主が変わりましたが、最終的には西尾氏の城というところに落ち着き、明治維新まで続くことになります。
 なお、今回は石垣の話ばかりしましたが、三層四階の立派な天守をいただく城であったことも記しておきます。もっとも、こちらは当然現存していません。

(2012年11月06日 初掲)





















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