肥後藩の支城。
八代城
所在地
別名
熊本県八代市松江城町
:白鷺城、不知火城など
築城者
築城年
:加藤正方
:元和8年(1622)


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■加藤氏による築城と改易

 八代城は、清正系の加藤氏によって築かれた城です。加藤清正が築いた城としては熊本城があまりにも有名ですが、同時期の肥後国内には麦島城という城も存在していて、これが加藤氏による統治の拠点となっていました。この麦島城は、元和の大地震によって崩壊したと伝えられています。現在も八代市内を流れる球磨川と前川の中州に位置していたことから麦島なのだと思われます。川に近い立地は防御において有利ではあったのでしょうが、もしかしたら地盤が軟弱だったのかもしれません。
 代わって、清正の次男である加藤忠正によって八代城が築かれました。ただ、忠正は十歳になる前に亡くなっており、実際には城代の加藤正方に築かせた城だとされています。その跡は、忠正の弟である忠広が継いぎましたが、若年だったことから統治が行き届かなかったとも言われており、後に肥後加藤氏は改易されました。以後は、これも熊本の殿様として有名な細川氏の属城となり、熊本城と共に明治維新を迎えました。

■城跡の今

 城は、四層に地下一階の大天守と、二層二階の小天守を備えていたと言われています。短命のうちに改易されたとはいえ、外様の雄藩は築いたものに相応しく、なかなかの規模を誇っていたようです。もっとも大天守は、寛文12年(1672)には落雷がもとで焼失したのだそうで、以後再建はされなかったようです。
 この他、現地の案内板によれば能舞台や枯山水の庭園もある風雅な城内だったということですが、現在は城地の大半を占める形で神社が建立されています。後醍醐天皇の皇子を祀るもののようです。遺構として残っているのは、石垣や水堀などですが、くだんの大天守があった場所には、今も天守台が健在で、城跡らしい城跡として現在に至っています。

(2018年04月24日 初掲)









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