よみがえるか関東七名城。
宇都宮城
所在地
別名
栃木県宇都宮市本丸町
:亀ヶ岡城
築城者
築城年
:宇都宮氏?
:14世紀


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■名族から譜代へ受け継がれる城

 宇都宮城はもともと、下野の戦国大名・宇都宮氏の城でした。藤原道長の兄・道兼の子孫である藤原宗円の、さらに後裔とも言われていますが、例によって源平藤橘といった名家と系譜を結びつけることで、宇都宮氏が自家の威信を高めようとした結果と思われるきらいもあるため、信憑性の高い話とは言いにくい部分もあります。
 ともあれ、宇都宮氏の一族は、時々に名を成し、戦国時代においても関東の有力諸侯に伍して勢力を築いていました。しかし、戦国乱世を乗り切ったはずの宇都宮仕置の後、突如豊臣秀吉によって改易され、宇都宮氏は潰えました。徳川幕府の時代になると、宇都宮城は、奥平氏や正純系本多氏など、譜代大名の入る重要な城となります。特に、正純の時に城は面目を新たにし、城下町も拡充が進みましたが、その様子と、正純自身が幕府内多くの反感を買っていたことが、世に言う宇都宮城釣天井事件につながって行くことになります。

■部分復元

 一方、それほどの充実を見た城は、幕末期には戊辰戦争の戦場となり、城下町ともども焼け落ちてしまいました。一旦焼け落ちた城が新時代において必要とされることはなく、昭和の頃までは、広場があるだけの公園として、城跡の名残をとどめていたようです。それが、城跡公園として整備されたのは、せいぜいがここ数年ほどのうちのことだと言います。整備工事の中で、堀、石垣、土塁、そして城壁に富士見櫓と言ったものが再建されました。
 ただし、実際には部分復元といった趣で、復元城郭として完結していると言うより、公園の一部に城郭建築が再現されていると言った感じで、その雰囲気は独特のものがあります。城のミニチュア版みたいでありながらも、一応、土塁上の富士見櫓までは上がることができます。昭和築城の建物と違い、内装は木造風に再現されていますが、どこまで往時の様子に正確に再現されたものなのかはよく分からないし、規模も、出入りできる範囲もごく小さなものとなっています。

(2016年01月11日 初掲)









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