謙信の落とせなかった城。
臼井城
所在地
別名
千葉県佐倉市臼井田
:なし
築城者
築城年
:臼井常康?
:12世紀


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■関東管領の蹉跌

 戦国関東の特色の一つは、一部を除けば大勢力が育たず、比較的小さな領主が割拠したことにあるような気がします。地縁や血縁が絡み合う、しがらみの多い土地だったことに起因しているのかもしれません。それぞれ事情を抱えた領主たちは、個々の思惑により離合集散を繰り返していたのですが、それだけに近在の有力大名が衝突すると、その戦いの結果により、勢力図が大きく塗り替えられるようなことも珍しくありませんでした。臼井城の戦いもまた、関東戦国史においては重要な事件の一つと言えます。
 一般に上杉謙信をして陥れることのできなかった堅城と称されることも多い臼井城ですが、永禄9年(1566)、謙信は里見氏と結び、当時は北条方の城だったこの城を攻めています。さかのぼること5年前、臼井城は里見方の正木氏によって攻め落とされていましたが、旧城主であった原氏がこれを奪還し、さらにそれを奪い返すべく、二氏の連合が成立したのでした。そして、連合軍はこの城を落とすことができませんでした。戦いの息合いを知ることについては神がかった所のある謙信が、小城一つを落とせなかった事実は、関東一円における彼のカリスマを少なからず失墜させます。これ以降、北条氏と上杉氏を天秤にかけて日和見を続けてきた関東の諸豪族の、上杉氏からの離反が相次ぐようになります。

■関東の転換点

 結果として謙信は、年来繰り返してきた関東への出兵に見切りをつけ、北陸の制圧に目を向けることになりました。また、捲土重来を期して謙信と組んだ里見氏は、この戦いで何ら得るものがありませんでした。一方、大敵を退けた北条氏も、辛くも拾ったこの勝利を即座に関東制覇へと結び付けることができないまま、停滞期を迎えることになります。この戦いで得をしたのはいったい誰なのか。経緯はともかく、もともと戦略的に価値の乏しい関東進出に見切りをつけることになった謙信か。謙信の影響力を関東から排除した北条氏か。あるいは勝者なき戦いだったのかもしれません。
 臼井城跡は、京成臼井駅近くの住宅地一隅にあります。関東近郊の古城らしく、ここも公園化されていますが、周辺地との間に平山城程度の比高差があるため、開発による徹底的な破壊は免れており、主郭や帯曲輪らしきもの、加えて空堀に土橋様の地形が残存しています。公園化の方向性としては、歴史公園と都市公園との折衷状態のようではありますが、関東の他の戦国城郭の現況を見ると、遺構を観察できるので良しとするべきところなのでしょう。なお、高台の公園からは、印旛沼方面への展望が良いです。

(2015年09月02日 初掲)















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