武田信玄初陣伝説の城を訪ねて。
海ノ口城
所在地
別名
長野県南佐久郡南牧村大字海ノ口
:なし
築城者
築城年
:未詳
:不明


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■名将の初陣

 武田信玄と言えば戦国大名の中でも最も有名な一人のはずですが、初陣がいつのことだったかについては、不思議とはっきりしたことがわかりません。一般にはここ信濃の海ノ口城攻めがそうだったとも言われますが、出典が誤伝の類の多いことでも知られる「甲陽軍鑑」であるため、半ば伝説として、研究者からは真実視されないことの多い話です。
 「軍鑑」に曰く、信玄の父・信虎が当代だった頃、武田軍が平賀源心入道の籠もるこの城を攻めるも、ついに戦果を挙げられないまま撤退の時を迎えたのですが、若き日の信玄は退却時に引き連れていた殿軍の兵三百で海ノ口城にとって返し、臨戦態勢を解いていた城を難なく落とした、と。信虎は事の経緯を苦りきった様子で聞いていたとも伝わります。
 信玄の初陣がこの戦いであったかどうかはさておいても、海ノ口城そのものは、甲斐に本拠を置く武田氏が佐久方面に侵攻する際の経路城に位置し、実際後年になると佐久攻略戦の基地ともなっていることから、いずれかの時期に、武田氏によって攻め落とされたものと思われます。

■小規模な山城

 八ヶ岳の東麓には21世紀の今日も、国道141号線とJR小海線が走りますが、現在では人や車の流れはさほど活発ではない、どちらかと言えばのどかな風景が広がっています。海ノ口城は、小海線の佐久海ノ口駅の北東に位置する城山の山頂付近に築かれていました。
 大河ドラマ「風林火山」の遺産か、国道沿いに城跡への道を示す案内看板が設置されていたりもしますが、城跡そのものは本来極めてマイナーな部類に入ります。登山道の整備状況は決して良いとは言えず、さほど高い山ではないのに、異様なほどに急勾配の坂道を登らなければならないなど、予想外に険しい道のりです。
 歴史的に城が果たしてきた役割を考えれば当然かもしれませんが、さほど大規模な城ではなく、削平の跡らしきものが見える他は、これと言う遺構も残されていません。屏風岩と呼ばれる巨岩が目を引きますが、山頂に東屋が設置されている辺り、史跡と言うよりはハイキング向けの里山と言う色彩の濃い山城跡です。ただし、眺めもそれほど良くはありません。

(2010年11月21日 初掲)

















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