女軍哀話の残る城。
常山城
所在地
別名
岡山県玉野市用吉
:なし
築城者
築城年
:上野氏
:文明年間(1469〜1487)


お城スコープ > お城総覧 > 常山城

■たどり着けなかった城

 城攻め旅行に出かける場合、普通は出発前から攻略目標を決めていることが多いのですが、常山城に関しては少々事情が異なりました。岡山地区の城を見て回る旅の中、現地に到着後やや持ち時間が余りそうなことが分かり、地図上で常山城という文字が目に入ったのをきっかけに、その場でネット検索をしてみると、三村氏系の城で、毛利氏との決戦に臨んで、城主・上野隆徳の奥方だった鶴姫以下の侍女衆が女軍として戦い、玉砕したと言う印象深いエピソードがある城だと言います。そういう事情から、訪問を決定した城でした。
 ところが後になって、地図で見かけた常山城は、同じ岡山県内にはあっても有漢常山城というまったく別の城だったことが判明し、その時は結局本来の目的地にたどり着くことすらかないませんでした。そして、常山城攻略は、次回の岡山行きに持ち越されることになったわけです。

■女軍玉砕

 常山城は、中国山地の中にある有漢のそれとは違い、瀬戸内海沿岸地域にありました。備中でも山間部の鶴首城を本拠とした三村氏の領国内では、僻地に位置していたと言うべきなのかもしれません。実際に三村氏滅亡の契機となった備中兵乱において、常山城は最後の最後で毛利氏に攻められており、周縁地域であっただろうことが伺われます。そして女性までもが武器を取り、悲壮な玉砕戦に挑んだのは、この城が三村氏最後の砦であり、落城に臨んでは名のある将やその奥方の前途が完全に閉ざされるためでした。と言うより、すでに三村氏の未来が無い状態だったため、生きて虜囚の辱めを受けず、武門の誉れを選んだのでしょう。時に天正3年(1575)のことで、城は小早川隆景らの軍勢を前にして落城しました。
 その後の常山城は、しばらくの間は時々の備中地方の領主によって支配されましたが、江戸時代の初めに廃城となりました。

■歴史あるハイキングコース

 城の築かれた常山は、JR宇野線常山駅の南にそびえており、駅からのアクセスが容易な城とも言えます。もっとも、道中の道のりはなかなか厳しく、それなりに手ごわい坂道が続く箇所があること、山頂からの眺望が優れていることなどから、城そのものに関心があるというより、ハイキングとして山を登る訪問者も少なくない様子。ちなみに、山頂近くまでは車道が通じており、一応車で登ることも可能なようですが、ネットの記述にはこの車道が悪路であるとするものが散見されます。
 城が築かれたのは山頂近くですが、このエリアにも現在ではあまり城跡らしい雰囲気は望めません。史跡として女軍の墓、伝説の場所として腹切岩がありますが、これと言う遺構はほとんど無いのが実情です。そればかりか、山頂付近は鉄塔の自己主張が強く、古城の趣はほとんど無いと言うのが現実。平らな地形も後年の工事によるものなのか。山頂から少し下ったところには一応、井戸跡とされるものが残っていますが、安全のためか完全に防護されており、やや趣にはかける恨みがあります。
 城としての歴史は、好展望の里山の味付け程度に考えておくのがちょうど良いくらいかもしれません。

(2010年05月16日 初掲)















戻る
TOP