かつて霞ケ浦に面した水の城。
土浦城
所在地
別名
茨城県土浦市中央
:亀城
築城者
築城年
:若泉三郎
:永享年間(1429〜1441)


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■小田氏と佐竹氏の確執

 土浦城は、伝説によれば平将門に始まる城であるとも言われていますが、確実なところとなると、常陸の国人・小田氏にゆかりの城であるとされています。小田氏は関東でも比較体有力な領主でしたが、戦国時代に入ると、佐竹氏や小田原北条氏などと言った強大な戦国大名から絶えず圧迫を受けるようになります。特に本拠地の近い佐竹氏との関係が険悪で、一度はその軍門に下るまでに追い詰められています。
 後に小田原北条氏と結ぶことで再起を果たしますが、この時期に佐竹氏との争点となったのが土浦城でした。もっとも、頼みの綱の北条氏はやがて豊臣秀吉と敵対し、滅亡への道を歩むことになります。これに与した小田氏も、小田原征伐の際に北条氏と連座する形で、滅亡の憂き目を見ることになりました。やがて関東一円は、徳川家康の領有するところとなります。

■櫓門の残る城跡

 家康が江戸城に入ったおり、土浦城はその次男・結城秀康の属城とされました。城の拡充が勧められたのも、この時期のことだったようです。江戸幕府において土浦城は重要視され、秀康を皮切りに、親藩・譜代を中心として、幕府中枢に近いところにいた大名が封じられる城となりました。そして最終的には土屋氏が城主として定着し、明治維新を迎えました。
 それなりに目ぼしい遺構も残す城で、建造物としては櫓門・霞門が現存し、土塁、水堀なども部分的に残されています。この他、再建された櫓なども存在しています。通称として「亀城」の名で呼ばれ、現在の城址公園に付けられている亀城公園の名は、この通称名に由来しているのでしょう。全体的な雰囲気を見ると、史跡半分・公園半分といった感じで、一般市民と思われる人たちの憩いの場にもなっています。訪問時はそういう時期でもありませんでしたが、花の名所として有名なのだそうです。

(2017年06月05日 初掲)









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