廃城から復活した陣屋形式の城。
龍野城
所在地
別名
兵庫県たつの市龍野町北龍野
:朝霞城
築城者
築城年
:赤松氏
:明応8年(1499)頃


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■城下町・龍野

 日本各地に小京都と呼ばれる町は多く、龍野もそうした小京都のうち一つです。大抵の小京都は、近世の城下町の名残をとどめる町であって、その歴史が戦国時代以前にさかのぼることはありません。これまた龍野にしても同様で、武家屋敷や白壁土蔵など、江戸時代の城下町の面影が、龍野の小京都たるゆえんですが、その中心であった龍野城そのものはさほど名高いものではありません。現在の観光資源としては、特産品である龍野醤油や素麺などの方が有名なくらいで、実際城跡もさほど大がかりに整備されていると言う雰囲気ではありませんが、龍野城は、様々な変転の歴史を持っています。

■龍野の殿様・脇坂氏

 龍野城は元々、赤松氏により、15世紀末に築かれたものです。現在では龍野古城などと言われているもので、今日一般に言われている龍野城の裏山に相当する、鶏籠山(けいろうさん)に築かれた典型的な中世山城でした。以後八十年ほど、赤松氏がこの地域の支配を保ち続けたものの、織田信長の意を受けた羽柴秀吉の軍門に下りました。その後は、蜂須賀正勝が城主となったのを皮切りに、福島正則、木下勝俊、小出吉政ら秀吉子飼いの武将が城主を務めます。諸説ありますが、赤松氏の支配終了後、江戸時代を迎えるまでに、山上の城を廃し、麓に城の主だった建物を移築したと考えられています。
 江戸時代初期に、龍野城は池田藩の一部となりますが、元和3年(1617)以後は数年単位で城主が目まぐるしく変わり、万時元年に城主・京極高和が丸亀へ移封になったのを機に、一度破却されています。そして、二十年余り天領の時代が続いた後、寛文12年(1672)に脇坂安政がこの地を治めるに至り、館構えの城が復活し、それから明治まで脇坂氏の城として存続しました。一般に龍野の殿様と言うと、脇坂氏のイメージが強いようです。
 現在、山上部分には削平地形や土塁、竪堀跡などが残りますが、総じてさほど規模は大きくありません。対する山麓部には、櫓や御殿などがあり、龍野藩の政庁跡として面目を施していますが、いずれも再建建物のようです。

(2011年07月21日 初掲)

















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