里見八犬伝とゆかりのある城。
館山城
所在地
別名
千葉県館山市館山
:根古屋城
築城者
築城年
:里見義康
:天正8年(1580)


お城スコープ > お城総覧 > 館山城

■里見氏の末路

 館山城は、もともと里見義頼によって築かれた城です。小田原北条氏に対抗した戦国大名として、もちろんその名は知っている里見氏ですが、よくよく考えるとその顛末というのはちゃんと知りません。初期の信長の野望だと、ゲーム開始直後に北条家に滅ぼされる大名家というイメージが強いし、「南総里見八犬伝」の影響もあり、何となく戦に負けて滅亡した大名のようにも思えてしまうのですが、意外にもそうではなかったようです。この館山城の存在がその証左で、少なくとも江戸時代初期には館山藩を成立させ、その鎮めとして城が築かれたのだそうです。
 しかし、里見忠義は慶長19年(1614)には改易処分を受け、館山城も早々に廃城となったようです。徳川譜代の臣でありながら、晩年は不行状がもとで失脚した大久保忠隣とは姻戚関係にあり、この大久保氏改易に連座したものだったとされています。ただし、これに先立って、忠義の叔父にあたる里見義高も改易処分を受けており、幕府の里見一門に対する不信感のようなものが存在していたのではないかと、勘繰れるような状況もあります。その後、館山藩と呼ばれるものが再度成立することはあったものの、城が再建されることはなったと伝えられています。

■八遺臣と八犬伝

 現在、この小高い丘に築かれていた城の跡地には、天守閣風の建物が立っています。いわゆる模擬復元の天守で、かつてこの場所に存在していた建物を正確に再建したものではないようです。よくあるように、この模擬天守は博物館として使用されていますが、面白いことに、通り一遍の歴史博物館ではなく、八犬伝博物館として「南総里見八犬伝」に関する展示を行っているのだそうです。それはそれで興味を惹かれたものの、訪問したのが開館時間にはまだ少し早く、開館を待っていると後の日程に障りがあったため、館内には入らず、おそらく本丸だったのだろう最上部の曲輪後をぐるっと一巡した後は、八遺臣の墓なるものを見学しました。
 先に触れた里見忠義は、事実上の配流処分として、伯耆の倉吉にその身柄を移され、失意のうちに若くして亡くなったのだそうですが、その時に殉死した八人の家臣の墓だということだ。八人の家臣ということで、やはりこのお墓の解説板でも里見八犬伝に引っ掛けた記述があります。八犬伝に限らず館山市は里見氏への思い入れに格別のものがあるらしく、里見氏を題材に大河ドラマを作ろうと考えていた時期もあるようです。今もそうなのかもしれませんが、館山駅前にあったその旨を呼び掛ける看板は、古色蒼然としたたたずまいになっていました。

(2020年03月05日 初掲)















戻る
TOP