金森氏6代、飛騨統治拠点の城。
高山城
所在地
別名
岐阜県高山市城山
:天神山城
築城者
築城年
:多賀徳言
:文安年間(1444〜1449)


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■天神山城と高山

 高山城の直接の前身は、16世紀の始めに高山外記によって築かれた天神山城であるとされているようです。ただし高山市観光課のページによると高山外記の天神山城があった城山付近にはすでに文安年間、飛騨守護京極氏の被官で飛騨守護代であった多賀徳言によって城が築かれていたとされています。同ページを見る限りでは多賀氏の頃にはこの城を天神山城あるいは多賀山城と呼んでいた一方、現在の高山という地名の起源は高山外記に求めているようで、正直なところ古い年代のこのお城については把握し切れていません。
 城跡に立っている案内板の説明が最もスマートかもしれません。それによると、城は標高686.6メートルの高さにあり、天神山という地名の由来は近江の多賀天神を祀ったところから来ているようです。
 戦国たけなわの頃のこの城には高山氏が在城していましたが、これは益田郡から北進して来た三木氏によって滅ぼされています。三木氏は同じ高山市内の松倉山の山頂に松倉城を築き、飛騨国内に覇を唱えました。
 

■金森長近と高山城

 しかし三木氏の「天下」は長くは続きませんでした。三木氏は信長亡き後の旧織田氏系の大名の中では佐々成政と同盟を結んでおり、ために成政と敵対していた羽柴秀吉によって滅ぼされています。このとき、秀吉の命によって三木氏討伐の任に当ったのが金森長近でした。長近は三木氏を倒した功によって、飛騨国を与えられました。現在の城山公園の二の丸跡付近は児童遊園になっており、この場所には長近の銅像が立てられています。
 長近は当初、同じ高山市内でもかなり東の方にあった鍋山城を居城にしようと考えていたようですが、拡張性に乏しかったため、飛騨国内の人や物流を扼するのに都合が良かった高山外記の天神山城の方を居城に選びました。
 長近は十余年の歳月をかけ、天神山城=高山城の整備を進めました。構造面から見ると、本丸天守閣などを備えたオーソドックスな城郭建築と言うよりは御殿建築に近いものだったようで、高山城の名は天下に鳴り響いていたようです。
 

■天領の時代へ

 しかしその高山城も、金森氏による6代180年の飛騨統治が終わると共にその役割を終えました。現在の城山公園に遺構らしい遺構がほとんど残されていないのは、この城が明治維新を迎えるよりもずいぶん早くに「現役」を引退してしまった関係なのでしょうか。
 金森氏が去った後の飛騨は、一時は加賀藩の統治下にあったようですが、やがて天領(幕府直轄領)になり、執政官として幕府が派遣した代官がこの地を治めるようになりました。代官は金森氏が使っていた高山城に入るのではなく、今も「古い町並み」として残る高山の町の中心部近くに陣屋を造り、そこで飛騨一円の政を行いました。
 遺構もなくちょっとしたハイキングコースのようになってしまっている高山城址・城山公園とは違い、高山陣屋は高山市内観光の白眉の一つになっています。
 

(2008年03月01日 初掲)















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