諏訪湖に臨む浮城…。
高島城
所在地
別名
長野県諏訪市高島1丁目
:浮城
築城者
築城年
:日根野高吉
:慶長3年(1598)


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■諏訪大社大祝・諏訪氏の居城

 高島城は、天正18年(1590)にこの地の領主だった日根野高吉によって設計され、文禄元年(1592)に着工、そして慶長3年(1598)に竣工したお城です。
 しかし日根野氏の在城期間は短く、完成からわずか3年後の慶長6年には諏訪大社の神官家で旧領主だった諏訪氏がこの地の大名の座に返り咲きました。武田信玄によってこの地を追われ、50年余りも経過した時の事で、諏訪氏にとっては悲願が達成されたような物だったのかもしれません。若干余談になりますが、武田氏時代の諏訪家は信玄の四男・四郎勝頼(後の武田勝頼)によって相続される形になっていましたが、後世の諏訪家側では勝頼のことを正統な当主であるとは認めていなかったようです。
 それから明治維新まで、諏訪氏10代270年間に渡って存続しましたが、明治8年(1875)に天守閣が撤去されています。現在の高島公園にある復興天守は昭和45年(1970)に建てられた物です。
 

■お城が筏に乗っている?

 高島城はもともと、諏訪湖の中にせり出す形で築城されたお城でした。それが「浮城」の異名の由来ですが、このお城は実際にイカダの上に乗っています。
 もともと水場近くに立地していた事もあって付近の地盤が軟弱だったらしく、大木を使ってイカダを組み、城の「足場」を固めておいてから石垣を積み上げていったという事です。もちろん、イカダの上に乗っているからといって諏訪湖の湖面に浮かぶようなことが出来たはずもありません。
 では、今でもこのお城が諏訪湖の湖上にそそり立つような姿をしているかと言えば…。
 

■「浮城」の裏側

 このお城が紹介される時には、多くの場合左側最上段にあるような構図の写真が使われます。確かにこの写真を見る限りだと周囲が水堀で囲まれているようにも見え、それが諏訪湖につながっているかのようなイメージを抱きます。私もかなり最近まではそう思っていました。しかし実際のところ、この水堀は写真に写っている部分がほぼ全てで、それ以外は周囲の土地と完全に陸続きになっています。JR上諏訪駅で電車を降り、道すがらにある案内を頼りに高島城にたどり着くと「表玄関」である大手門に通されますが、その名もズバリの「御城裏」交差点方向から天守を見ると、左の写真の通りです。この部分には、あまり触れない方が良いかもしれません。
 最初は湖に臨んで建っていたこのお城も、諏訪湖の水位の低下によって諏訪氏在城期間中の1700年代には平地の城となっていたようです。ちなみに、平城としては最も高い標高のところに建っているのだとか。

(2008年03月01日 初掲)















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