瀬戸内の波が寄せる水城。
高松城
所在地
別名
香川県高松市玉藻町
:玉藻城
築城者
築城年
:生駒親正
:天正18年(1590)


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■新時代の海城

 世の中には「三大○○」と言ったものが数多くあり、日本のお城の中にも三名城とか三大山城と呼ばれるものもありますが、高松城は、今治城中津城と並んで、巷間三大水城の一つに数えられています。その名のとおり、瀬戸内海に面する城です。
 海に面して築かれた城自体は、ある程度古い時期にも存在しています。俗に「海賊城」と呼ばれるそれらは、屈強の水軍を要する将が、海戦を想定して築いたものですが、大名の居城とは趣を異にするものでした。どちらかと言うと土豪級の城か、もしくは制海権を握るための前線基地という性格の施設です。
 高松城をはじめとする三大水城は、大名の本城として、戦時の基地としてのみならず、領国経営のために築かれた近世城郭と言う共通点があります。さらに付け加えるなら、三大水城のいずれもが瀬戸内海に臨んで築かれた城と言う点も共通しています。

■四国の要地

 時に天正13年(1585)。四国を席巻していた長宗我部元親を屈服せしめた豊臣秀吉は、元親を土佐一国に封じ込める一方で、四国の要所に自身の手足となるべき武将を配置しました。讃岐には、一時仙石秀久が入りましたが、島津氏征伐の鶴賀城攻防戦に際し、戸次川で壊滅的な敗戦を蒙り、秀吉の癇気に触れ高野山へ追放。天正15年になって生駒親正が一国支配を行うようになりました。親正は当初、聖通寺城など讃岐に既存の城に入りましたが、いずれも城下町を営むには不便だったため、新たな城地を求めることになりました。こうして玉藻浦と呼ばれた海辺の地に築かれたのが高松城です。この地選に関して、藤堂高虎や黒田如水をして詠嘆せしめるほど見事なものだったとの逸話も残されています。それぞれ前述の今治城や中津城の主であるのは興味深いところです。
 完成までには三年の歳月を要し、以後50年ほどの間は生駒氏の居城として続くことになりましたが、寛永17年(1640)、お家騒動(生駒騒動)が原因で、生駒氏は改易となります。生駒氏後の高松城は、松平頼重の松平氏の居城として、親藩の政庁として幕末まで存続しました。生駒市の蹉跌はともかくとして、瀬戸内の要衝、畿内と四国の接点とも言えるこの場所に親藩が入ったのは、ごく自然な成り行きだったのでしょう。

■玉藻公園

 今日の高松城は、地方都市高松市の市街地、瀬戸内海に面する場所に玉藻公園として残っています。この公園は旧高松城の中でも中枢部に相当する場所ですが、どちらかと言うと玉藻公園の名が前面に出ていることから分かるように、瀬戸内の水を引き入れた水堀と石垣を中心に、公園として美しく整備されています。堀には鯛も飼われているようです。
 ただ、城跡としての高松城址には、現存建造物である水手御門と月見櫓が残されており、これらがあまり表立ってこないのは少々残念な気もします。これらの建造物が、公園隅の国道沿いという目立たないロケーションにあるのが災いしているのかもしれません。ちなみに2010年冬時点では天守台が整備工事中。
 なお、開閉園時間の設定された有料公園なのでご注意を。

(2010年02月01日 初掲)























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