龍造寺隆信晩年の居城
須古城
所在地
別名
佐賀県杵島郡白石町大字堤
:なし
築城者
築城年
:平井氏
:不明


お城スコープ > お城総覧 > 須古城

■龍造寺隆信の隠居と有馬氏

 須古城は、龍造寺隆信の晩年の居城として知られます。あるいは隠居城と言ったほうが的確なのかもしれません。築城年代は定かでないながら、平井氏が築いたと言われるこの城を奪った隆信は、後にこの城を居所と定めました。隠居城とは言いながら、年来島原半島の支配者であった有馬氏の押さえとなるため、自ら前線に近いこの場所に入ったと見るべきところなのでしょう。
 事実、一度は龍造寺氏に服属した有馬氏も、後年になると再び反旗を翻しています。龍造寺氏にとって油断のならない相手であることは確かだったわけです。そして、とどのつまりはこの有馬氏戦線に薩摩の島津氏が介入し、両氏の連合軍を相手とした沖田畷の戦いで、隆信は自らの命を落とすこととなりました。

■有明海に面する小城

 須古城は、有明海に面する広大な平地の西の縁の独立丘上に築かれた平山城でした。いや、今でこそ干拓で有名な地域のことなので、往時にはもっと海岸線に近かったのかもしれません。いずれにせよ、さほど規模の大きな城だったとは思えません。
 須古小学校の裏山と言って差し支えない丘の上に登りはしたものの、冬の明け方と言う時間帯の訪城だったため、暗がりの遺構などはまともに写真に写りませんでした。丘の上がかなり大規模に均されているのを除けば、全般に遺構はそれほど明瞭ではなく、保存されている箇所も多くはありません。小学校反対側の斜面には石垣の成れの果てが存在していますが、これがこの城の最も顕著な痕跡というところでしょう。

(2014年06月19日 初掲)









戻る
TOP