足利尊氏の勝利に寄与した山城。
白旗城
所在地
別名
兵庫県赤穂郡上郡町野桑
:なし
築城者
築城年
:赤松円心
:建武3年(1336)頃


お城スコープ > お城総覧 > 白旗城

■播磨の名族・赤松氏

 室町時代初期から中期にかけての動乱は、足利幕府において重きをなした古豪大名が関わっていることが多く、播磨の守護大名であった赤松氏もまた、嘉吉の乱や応仁の乱に深い関わりを持っていました。もっとも、これら古手の有力大名については、戦国時代が本格化する以降は奮わず、やがて到来した新時代を、滅亡するか細々と長らえるかして迎えたという共通点も見出せるでしょうか。彼らは往々にして中央政権に影響力を及ぼすことのできる畿内を領国としていたため、有力幕閣同士の内ゲバに血道をあげるうちに、新興勢力に漁夫の利をさらわれたといったところでしょうか。
 赤松氏についても同じ事が言えそうですが、織田氏の圧迫が始まる以前に限って言えば、赤松氏は領国である播磨国に権勢を誇り、いくつか中規模以上の城を残しており、初期において本城であった白旗城は、赤松氏のそうした来歴を象徴するかのような、古いタイプの山城といえます。

■湊川の戦と白旗城

 白旗城は、兵庫県上郡町にありました。駅で言うと智頭急行線の河野原円心駅が最寄となります。人名みたいな駅名ですが、河野原は所在地の地名、円心は、室町幕府の有力者だった赤松則村入道円心から来ているもののようです。駅近くには赤松と言う集落名が残り、赤松円心にちなむ史跡などがちょっとした町おこしに利用されています。
 白旗城もまた、そうした赤松氏にゆかりのある史跡の一つで、現在は国指定史跡にもなっています。建武の新政後、後醍醐天皇の下から離反した足利尊氏と、これを討つべく後醍醐帝が遣わした新田義貞が争った際には、円心がこの城に籠もり、義貞率いる大軍を向こうに回して戦いましたが、ついに城は落ちず、その間に陣営を整えた足利軍は、湊川の戦において新田軍を打ち破ることに成功しています。こうして白旗城は、堅城として史上に名を残すことになりました。そして嘉吉の乱で一旦赤松氏が滅亡するまでは、同氏の本城としても機能し続けました。

■戦国前夜の山城

 城跡へは、近畿自然歩道伝いに歩いてたどり着くことが出来ます。朝霧にまかれながら河野原円心の駅に降り立った直後は、無事に城跡までたどり着けるかどうか心もとなかったのですが、自然歩道の枝道のような場所に位置することもあって、意外にも道案内は親切でした。その代わり、自然歩道なだけあって30分程度のわりと本格的な山道となり、「奥山にもみじ踏み分け鳴く鹿の〜」の古歌さながらに、響く甲高い鹿の鳴き声を聞きながらの寂しい道行きでした。城跡へは、自然歩道本線の、赤松集落と野桑集落を分かつ尾根の鞍部から入っていくことになります。
 城跡の規模そのものは決して小さくは無いのですが、土木工事の痕跡としては、削平跡の他に堀切や土塁と言ったところが見られる程度で、並みの山城の水準でしょう。いささか地味かも知れません。一部に石積みが残されているようだが、見つけることが出来ませんでした。
 ちなみに、今日的な感覚では白旗と言うと降伏のサインを連想してしまいますが、赤松氏が源氏の流れであるとされていることを考えれば、源氏の白旗なのかもしれません。

(2013年07月24日 初掲)















戻る
TOP