城郭のガラパゴス的進化。
篠脇城
所在地
別名
岐阜県郡上市大和町牧
:なし
築城者
築城年
:東氏
:14世紀


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■夥しい数の竪堀

 城を守るための防衛機構には多種多様なものがありますが、その中で一般的に良くイメージされるのが水堀や石垣と言ったものでしょう。近世城郭を復元した、いわゆるお城が大抵これらを備えているのが強みです。対照的に、マイナーな部類に属する城郭遺構は枚挙にいとまがないのかもしれません。そしておそらく竪堀は、そんなマイナーな遺構の一つです。基本的に山城に見られるものなのですが、斜面に沿って縦に掘り込まれた空堀のことで、主に通路以外のところを攻め上ってこようとする敵の行動範囲に制約を加える目的で作られるものです。
 岐阜県郡上市にその名残をとどめる篠脇城は、執拗なまでに竪堀の設けられた城として、好事家の間ではよく知られています。近代戦の文脈では、おびただしい数の火砲で武装した兵器に対し「ハリネズミのような」と言う表現が用いられることもしばしばありますが、まさしくハリネズミのように主郭の全方位に対してめぐらされた竪堀は、城郭建築の正統進化とは言い難いものです。城の来歴も考慮すると、ガラパゴス的進化とかエクストリーム化とか、そんな表現の方がしっくりきそうな異様さがあります。ただ、これも進化の一つの可能性ではあったのでしょう。

■篠脇城の興亡と古今伝授

 篠脇城は、この地を治めていた東氏の居城として築かれました。戦国武将としての東氏は、辺境小領主の一人に過ぎませんでした。群雄の割拠する時代になると奮わず、同族である遠藤氏に滅ぼされています。この城には油坂峠を越えてきた朝倉氏とも戦ったという実績がありますが、その朝倉氏との戦いの中で荒廃したため、東氏は後年になると東殿山城を築き、そちらに移動しました。そして、東殿山城が東氏最後の城となりました。
 前述のとおり、夥しい数の竪堀によって防衛されたことで特徴づけられ、現在もその痕跡は城跡に認めることができますが、保存整備の状態は良くありません。倒木などで半ば埋め尽くされた状態になっている個所も多く、さらに現地の解説もそれほど竪堀押しではないため、予備知識なしで訪れると、虎の子の竪堀も印象に残らない凡庸な山城との印象だけが残るかもしれません。冬場は積雪のある地域ですが、汗を拭き拭き登り切った夏の山頂付近主格部は、草の生い茂る削平地となっているだけでしょう。訪問時期には一考を要します。
 ちなみに東氏の一族は、古今伝授の祖とされる東常縁を輩出しています。応仁の乱は彼の在世中に勃発した事件で、常縁自身は西軍に与しました。そのため、東軍に参じた美濃守護土岐氏方の斉藤妙椿に篠脇城を奪われていますが、常縁の和歌に感銘を受けた妙椿が、後に城を常縁に返還したと伝えられています。僻地の領主と文化人武将が両立した室町時代中葉の出来事でした。篠脇城の山麓には、東氏の文化人的側面を物語るかのように庭園が復元されています。

(2014年12月31日 初掲)















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