戸澤氏が築いた近世城郭。
新庄城
所在地
別名
山形県新庄市堀端町
:沼田城、鵜沼城
築城者
築城年
:戸沢政盛
:寛永2年(1625)


お城スコープ > お城総覧 > 新庄城

■戸澤氏の興隆

 新庄城は、江戸時代初期にこの地に封じられた戸澤氏によって築かれた城でした。戸澤氏はもともと、新庄より北方の角館地域周辺を支配地としていました。傑物であったと伝えられる18代当主・盛安の時に、ライバルであった安東氏や小野寺氏の勢力をこの地から駆逐するとともに、中央との関係構築にも心を砕いた結果、その勢力基盤は盤石のものとなるかに思われましたが、盛安の早世、そして関ケ原の戦いを巡る動乱などが相次ぎ、特に関ケ原と時を同じくして発生した東北の動乱においては、東軍に与しはしたものの上杉氏に対して積極攻勢を仕掛けなかったことが災いし、本領から引き離され、常陸国へと減転封される憂き目にあいました。
 しかし後年、戸澤氏の旧領に近い新庄周辺を領有していた最上氏が所領を失ったことで、旧領への返り咲きとはならなかったものの、新庄の地に封じられることになったのでした。安東氏や小野寺氏と鎬を削ることはあっても最上氏との関係はそれほど悪くはなかったと思われるため、最上氏改易に伴う増封は、戸澤氏家中でどのように受け止められたのでしょうか。僥倖ではあったのかもしれませんが、関ケ原の戦い後、幕府の強権の前に浮沈を経験しているだけに、気になるところです。

■水堀と土塁の城

 新庄城もまた、鶴岡城同様、水堀と土塁の城です。本丸の門跡に限定的に石垣が残されている点も、鶴岡城と似通っています。現在の道路面とさほど変わらない高さに満々と水をたたえる水堀が設けられ、川の土手を思わせる土塁がそれを見下ろしています。城の主廓はこの土塁で守られたさらに内側に展開されていました。
 現在の城跡は、これまた神社となっていて、その名を戸澤神社と言います。祭神とするのは新庄藩主たる戸澤氏の始祖なのだそうですが、創建は明治も中葉を過ぎた時期のことなので、旧領民が新庄市の礎を築いたかつての領主を慕って建立したということなのでしょう。なお、現在の城跡は、戸澤公園ならぬ最上公園と呼ばれています。最上氏の最上というより、新庄市が属する最上地方の最上なのでしょうか。

(2019年10月10日 初掲)

















戻る
TOP