大隈の大規模山城。
志布志城
所在地
別名
鹿児島県志布志市志布志町帖
:なし
築城者
築城年
:未詳
:不明


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■争奪の歴史

 鹿児島県の東の端、かつては大隈国に属した志布志の地に築かれた志布志城は、伊作城に次いで、鹿児島県内でも有数の大規模山城とされています。
 歴史的に見て、その築城時期は明確になっていないものの、南北朝期には城の体を取った建造物が存在していたらしく、以後四百年ほどの間にわたり、島津氏や肝付氏、新納氏などの間でその領有をめぐる争いがあったことが伝えられています。
 天正5年(1577)、最終的には島津氏の支城となり、その領国支配において重きをなす様になりました。その後、一国一城令の時に廃城となったとされますが、どうやら廃城されたとは言っても城の跡形もなくなるほど徹底的に破壊されたわけではないようです。

■大隈の山城

 現地の解説板も含め、決して資料の多くない志布志城ですが、遺構自体は比較的よく残されています。削平された曲輪の跡や土塁、そして特に10mほどの深さはあろうかという空堀が強く印象に残ります。これだけの規模の空堀を見たのは箕輪城以来という気がしますが、全体的な構造は南九州によくあるタイプの城に分類できます。
 形態上は山城として扱われるのが一般的な志布志城も決して高山上の城ではなく、むしろ志布志の町の背後に控える山地部の、突端に相当する丘陵程度の微高地上に、直列的に曲輪が配置される形になっています。空堀が各曲輪間を遮断すると共に連絡通路の形となっているのも、独立性の高い曲輪群に、内城・松尾城・高城・新城といった名前がついているのも、この地方の山城に共通して見られる特徴です。
 縄張りを見て回るのにハードな山歩きの覚悟をする必要はありませんが、鬱蒼とした山林はやや手入れの行き届いていない印象があり、下草が伸び羽虫が増える盛夏や、足元がぬかるむ雨上がりの登城は避けた方が無難かもしれません。

(2009年05月24日 初掲)









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