高級幕閣たちの城。
佐倉城
所在地
別名
千葉県佐倉市城内町
:鹿島城
築城者
築城年
:土井利勝
:慶長15年(1610)


お城スコープ > お城総覧 > 佐倉城

■千葉の名城

 「お城スコープ」に掲載する城には、当初から漠然とした選定基準があって、「城自体が有名」「有名な武将・戦国大名とゆかりがある」「歴史的事件の舞台となった」といったところを念頭において選んでいたのですが、メジャーどころを多く押さえてくると、新規開拓についてはそうした基本方針にばかりこだわっていられなくもなります。
 そうした中で佐倉城の場合は、さしずめ「城自体が有名」なパターンの変種といったところで、日本城郭協会が選定した日本100名城に含まれているというのが、訪問動機の入口になっています。城のある千葉県そのものとの縁が薄かったために遅い訪問となりました。城自体は、規模壮大とか、希少な遺構が残されているとか言ったものではありませんが、幕政下においては顕著な意味を持つ城だったとして良いでしょう。

■幕政の実力者と佐倉城

 城が築かれたのは江戸時代に入ってから、慶長15年(1610)のことで、土井利勝による築城でした。微高地となっている城地では古くから、土地の豪族であった千葉氏による築城が試みられていましたが、千葉氏の本拠地は古くからの本佐倉城から移されること無く、城として完成を見、晴れて藩庁となるのは利勝の時を待たざるを得ませんでした。
 幼少のころから家康の寵愛を受けたと言われる利勝は、家康の子で同年代であった二代将軍・秀忠、そして三代・家光の頃にその権勢を極大化させ、寛永10年(1633)には同じ下総国内の古河に、十四万二千石で加増転封されています。以後は目まぐるしく城主が変わる藩となりますが、いずれも親藩譜代、十万石級ながら幕府の高級閣僚が封じられる城として、明治維新まで存続しました。

■石垣のない近世城郭

 佐倉城は、もともと石垣の存在しない城だったようですが、城郭時代の土塁の名残と思われる土手が、付近を通る県道に面して現存しており、旧城域の中に開かれたと思われる住宅地が、これによって幹線道路側から隔絶されています。 現在の佐倉城址公園は、大規模な公園で、城域内には、水堀の名残と思われるものもありますが、現在の公園は城の主要部分に過ぎず、本来の城域はもう一回りほど広かったようです。
 三の丸あたりの曲輪、帯曲輪や出丸は本丸より一段低くなっています。思ったよりは後世の手が入っていなさそうで、ちょっとした平山城の築かれた、里山のようです。さすがに主郭部まで移動すると、公園らしく手が入っていますが、深い空堀などはそのまま残っており、今ではただの広場のようになってしまっている本丸跡も、確かにぐるりを土塁で囲まれています。石垣は、意識して探したものの、見当たりませんでした。事実上存在しないのでしょう。関東地方の城では、あまり大規模な石垣は見らません。
 徳川系城郭であっても、西日本の近世城郭には大掛かりな石垣が見られることを思えば、技術的な問題と言うよりは、やはり定説どおり、石材の調達に難があったと言う事なのでしょう。瀬戸内地域では、各々の城山そのものも含め、石垣の石材に向く花崗岩質の山が良く見られますが、関東地方はあまり花崗岩を産しないのだそうです。

(2012年05月13日 初掲)















戻る
TOP