畿内の動乱と共にあった城。
摂津滝山城
所在地
別名
兵庫県神戸市中央区神戸港地方
:布引城
築城者
築城年
:赤松氏
:14世紀


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■中世の戦乱

 滝山城は、播磨の守護大名・赤松氏によって築かれた城だったと考えられています。築城時期は定かではありませんが、鎌倉時代後期ないしは室町時代初期のことだったのではないかと推定されています。中世の大乱は、多くが畿内を発端にして始まっており、その畿内の周縁部に一大勢力を誇った赤松氏の城であった関係上、建武の新政に前後する動乱の中では、しばしば戦いに巻き込まれました。
 戦国時代を迎えると、摂津のこの地には三好長慶の武威が及ぶようになり、滝山城には長慶の家臣であった松永久秀が入りました。長慶の死後、久秀が三好家中を私し始めると、三好三人衆と対立するようになり、城が久秀と三人衆の戦いの舞台になったこともあります。
 やがて織田信長が上洛を果たすと、畿内一円の政情は、列強がしのぎを削る遠国よりも早く安定を見せ、戦略上の重要性が薄れた滝山城は、歴史の表舞台から姿を消しました。

■ハイキングコース上の城跡

 城は、現在の山陽新幹線新神戸駅の裏山のような場所にありました。つまり、深山の城ではないのですが、もともと山と海が接近する神戸市街の端。現在は六甲山系の一部としてハイキングコースとなっています。300m余りの標高がほぼそのまま市街地からの比高差となるため、それなりに汗をかくつもりで登らなければ、たどり着けないような山の上でもあります。
 登城には新神戸駅北側、布引の滝から分岐するハイキングコースを利用できます。これがどの程度までかつての登城路を利用した物なのかはよくわかりません。ただ、このハイキングコースも、山上の主郭近くでは、切通しのような狭路になっている箇所があり、必ずしも後年になって付けられたばかりの遊歩道とも思えません。また、もともと岩を多く産する山には見えませんが、巨石が密集する場所もあります。石垣の成れの果てなのでしょうか。
 城郭の遺構として、はっきりと説明が加えられているのは堀切程度の物ではありますが、曲輪跡は、明瞭にしてかなりの数が現存し、総じて城山らしい特徴を良く呈していると言えます。

(2014年01月13日 初掲)









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