崩れ行く廃城。
利神城
所在地
別名
兵庫県佐用郡佐用町平福
:雲突城
築城者
築城年
:別所敦範
:正平4年(南)/貞和5年(北)(1349)


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■廃城の今

 当然のことながら、城は現代日本では無用の施設となっています。一部は文化的価値を認められ、往時の姿のまま保存ざれたり、一度は失われながら復元されたりしていますが、それ以外の大半は見る影もなく破壊されていることでしょう。城と呼ばれるものの現状は、大体この両極端に分類されるとは思うのですが、利神(りかん)城の置かれた状況は少々特殊です。
 まず、石垣が残されています。さすがにその上に建っていた建造物は残されていませんが、城を象徴する遺物の一つである石垣は、かろうじてその姿を留めています。近世城郭の名残であるため、山城の石垣としては規模も大きく、かなり見事なものながら、残された石垣に対する保存処理が行われておらず、実情はまさに崩れるに任せた状態。「廃城がいかなる運命をたどるのか」。一面ではそれを雄弁に物語る資料と言えるのかも知れません。もちろん、これだけの規模の遺構がただ崩れ去るのは惜しくもあります。
 なお、智頭急行平福駅の近くから登れる登山道がその昔の大手道だったようですが、この道は三の丸に入ったところで、崩壊の進む石垣に突き当たります。崩落の危険がある石垣をかすめながら本丸に進入することは、事実上不可能です。

■短命の近世城郭

 利神城に関する資料はほとんど持っておらず、ネットのコミュニティでその存在を知り訪ねてみたというのが実情であるため、ネットの諸所にある情報を引き写して城の沿革を少し。
 元は南北朝期に別所氏により築かれた城で、織田氏の中国地方進出後、その帰属は毛利氏と織田氏の間で揺れ動いています。別所林治が城主の時に、織田氏の意を受けた上月城の山中鹿之助に攻め落とされていますが、上月城自体が宇喜多直家によって落とされると、利神城も宇喜多氏系の城となります。以後は、宇喜多氏が関が原で没落するまで宇喜多氏の支城に位置づけられ、宇喜多氏に代わり池田輝政が播磨姫路城に入ると、池田氏の支藩を治める城として、近世城郭として整備されましたが、江戸時代も早い時期の寛永7年(1630)に廃城となりました。
 利神城址の現状は、それから400年近くも放置された結果なのですが、近世城郭の端くれでありながらこれだけ早い時期に役目を終えた城というのも、やはり珍しいでしょう。

(2010年01月11日 初掲)

















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