本多忠勝が礎を築いた城。
大多喜城
所在地
別名
千葉県夷隅郡大多喜町大多喜
:大滝城
築城者
築城年
:真里谷信清
:永正18年/大永元年(1521)


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■本多忠勝の雷名

 大多喜城は、勇将の誉れ高い本多忠勝が居城とした城で、後年桑名に移るまで、忠勝はこの城に封じられていました。もともとはこの地にあった真里谷氏によって築かれた城なのだそうです。ただ、徳川家中の武将の中でも特に人気の高い忠勝ゆかりの城だけあって、城跡では「本多忠勝・忠朝を大河ドラマに!」と鼻息も荒いところが見られました。
 まあ、井伊も大河ドラマになったし、酒井や榊原よりは忠勝だろうというのは何となくわからなくもありません。忠勝親子を大河にの幟は真新しく、館山城訪問時に館山駅前で見かけた里見押しの古い看板のことを思うと、ちょっぴり切なくなってきそうです。思うに、房総半島でも南部地域は全般的に里見押しなのでしょうが、大多喜に関しては、里見よりもずっとメジャーな本多忠勝を擁しているので、抜け駆けみたいなことになっているのかもしれません。

■続日本100名城選定

 大多喜城は、現在では続日本100名城の一つに選定されています。忠勝のことがあったので、もともと関心はあった城なのですが、この100城の中に入ったのがダメ押しになって、訪問の運びとなりましだ。ただ、実際訪ねてみると、100名城系のほかの諸城と比べると、格落ち感は否めない気がもします。なんといっても遺構の残存状況が今一つパッとしないのが残念なところです。目を引くものとしては、大井戸と呼ばれるその名の通りかなり規模の大きい井戸と薬井門があるので、客観的には立派なものとするべきなのでしょう。
 ちなみに、現在城跡にある天守閣らしきものがありますが、そもそも大多喜城に天守が存在したかどうかという部分で諸説が存在しているらしく、そのために復元天守とも模擬天守ともつかないような扱いになっているようです。ともあれ、ここ大多喜城では久しぶりに、この種の天守様博物館の中を見学できました。刀剣があったり鎧があったり、郷土史に関する展示があったりと、これまた割とよくある内容でしたが、それを見学するのも、昭和の通俗観光のようで悪くありません。ちなみに、受付でもらった資料によると、「千葉県立中央博物館 大多喜城分館」なのだそうです。

(2020年03月05日 初掲)

















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