赤松氏の山城。
置塩城
所在地
別名
兵庫県姫路市夢前町宮置
:なし
築城者
築城年
:赤松政則
:15世紀


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■赤松氏再興と宿敵山名氏

 置塩城は、赤松政則によって築かれました。嘉吉の乱に際して一旦は滅亡した赤松氏でしたが、旧臣たちの支えを得られたこともあり、滅亡から程もない政則の代に再興を果たしました。名将として知られた彼は、戦国大名赤松氏の先触れであると同時に、その最盛期を築き上げた人物とも言えます。
 赤松氏領国内において、それまでにも重要な役割を担った城は複数ありましたが、戦乱の時代の到来を受け、より堅固な根拠地としての役割を期待され、置塩城が築かれたものと考えられています。後南朝から神璽を奪還した功から幕府により家の再興を認められ、自身の栄達も果たした政則ではありましたが、その生涯は宿敵である山名氏との戦いの連続であり、そうした中での築城でした。
 やがて赤松氏は、山名氏の勢力を山陽道から駆逐することに成功しますが、置塩城自体が歴史の表舞台で大きくクローズアップされることはなく、その歴史について多くはわかっていません。赤松氏が羽柴秀吉の軍門に下ってから時を経ず、廃城になったと考えられています。

■赤松氏系山城の極致

 置塩城跡は、姫路市の北方、少し前で言う夢前町にあります。個人的に、その読み方はずっと「おじおじょう」だと思っていたのですが、現地のアルファベット表記などを見る限り「おきしおじょう」と言う読みも使われているようです。もしかすると、古文献から推測される読みは「おじお」、現在に残る同字の地名が「おきしお」と言うようなことなのかもしれません。
 姫路駅前から神姫バスの路線バスに揺られること30分ほどで、登城口近くまでたどり着けますが、そこから城跡まで、これまたたっぷり30分を要します。それに加え本丸跡(山頂)から眺めがいいためか、ハイキング目的でも登られることのあるらしいタフな城山です。
 たどり着いた城跡の縄張りは白旗城より一回り以上大掛かりな物で、石垣や土塁がよく残されています。全体の造作が大規模なのではなく、一つ一つの遺構が大掛かりと見るべきでしょう。通称なのか、歴史的事実に基づく呼称なのかは定かではありませんが、「茶室跡」「台所跡」といった地名は、一帯が単なる山奥ではなく、かつて一時でも播磨一国の政庁として機能するほどの施設が存在していた場所であることを物語っているようで、好奇心を掻き立てられるものがあります。
 なお、今回の城攻めで利用した現在の登山道は城山の南側に付けられたものでしたが、どうもかつての登城路とは別物のようで、大手門跡、大手道跡は縄張り図を見る限り全く別の場所に記されていました。

(2013年09月27日 初掲)















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