徳川家康生誕の城。
岡崎城
所在地
別名
愛知県岡崎市康生町
:龍城
築城者
築城年
:西郷頼嗣
:宝徳4年/享徳元年(1452)


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■岡崎城の歴史

 徳川家康生誕の城です。もともとは15世紀中葉に西郷頼嗣が築いたものでしたが、間もなく松平信光に攻め落とされ、岡崎松平家が成立しました。しかし、岡崎松平家は三代目のとき、安城松平家当主・松平清康によって倒され、代わって清康がこの城に入りました。
 清康は美濃の斎藤氏と謀って尾張の織田氏を攻めようと出陣した際、家臣に殺され(守山崩れ)、清康嫡男の松平広忠が家督を相続します。しかし、まだ幼かった広忠に周辺勢力の侵攻を撥ね退ける力は無く、駿河の今川義元に庇護を求めました。天文11(1542)年、この城に生まれた家康は、紆余曲折の後に駿府へ人質として送られました。それから数年、広忠までもが清康と同様に家臣に殺され、岡崎城は今川氏に接収されました。
 永禄3(1560)年に桶狭間で今川義元が敗死すると、今川の城代はこの城を放棄し、今川の部将としてこの合戦に参加していた元康(後の家康)が岡崎城主に復帰しました。以後十年間、浜松に移るまでの間、この城は家康の居城となっていました。
 

■徳川幕府の聖地

 家康との結びつきということで言えば、他の彼の歴代居城のほうが強いのかもしれませんが、ここはむしろ徳川家の原点として、記念碑的性格の強い城かもしれません。徳川政権内の一種の聖地と言っても良いらしく、岡崎城の城主を勤めることは幕府組織内での栄達の登竜門のように言われていたとか。この点は、江戸城以前の家康のもう一つ居城・浜松城にも共通しています。
 岡崎城から北へ2kmほどのところに、徳川家の菩提寺・大樹寺があります。岡崎の町は、家康の位牌が収められた大樹寺から岡崎城の姿を望むことができるように町割が決められたそうで、現在も大樹寺の山門から岡崎城の姿を望むことができます。大樹寺には15代慶喜以外の歴代徳川将軍の等身大の位牌も収められています。それによると家康の身長は160cm弱。また、犬公方と呼ばれた5代将軍綱吉の身長が極端に低いなど、いろいろ興味深い事実を垣間見ることができます。
 

■家康と三河武士団

 現在、岡崎城周辺は公園として整備されています。再建された天守の内部には主に江戸時代の資料が展示されています。城内には名槍・蜻蛉切の複製品(穂先部分のみ)もありますが、戦国期の展示は同公園内にある「三河武士のやかた家康館」の方が充実しています。
 公園内には家康像もありますが、写真は三河武士のやかた近くにある本多忠勝像です。家康の生涯において、岡崎で過ごした期間は意外なほど短時間ですが、この城は後の家康と家臣団の基礎を形成した城です。三河武士のやかたは、家康以前の松平氏の歴史、家康の生涯、家康を支えた三河武士団に関する展示が充実しています。展示品の多くが複製品であるのが玉に瑕ですが、資料(史料に非ず)的価値は高く、家康シンパであれば見ておいて損はないところだと思います。
 

(2008年03月01日 初掲)















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