家康の母・於大の生まれた城。
緒川城
所在地
別名
愛知県知多郡東浦町緒川
:なし
築城者
築城年
:水野貞守
:文明年間(1469〜1487)


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■知多郡の領主

 徳川家康の生母・伝通院こと於大は、尾張知多郡を支配した豪族・水野氏の出でした。水野氏は、自領を保つために鎬を削る周辺領主との政略結婚を行いましたが、その相手となった家の一つが、岡崎城にあった松平氏宗家・松平広忠です。かくして二人の間に一人の男子が生まれ、これが家康なのですが、小領主の悲しさで、水野氏は今川氏に与した松平氏とは対照的に織田氏に着き、これが原因となって於大は広忠から離縁され、両者の姻戚関係は終わりを迎えました。家康幼き日の苦難を物語るものとしてつとに知られたエピソードです。
 桶狭間の戦いの後、今川の影響下から独立した家康は、晴れて母を岡崎に迎えることができました。しかし於大は、なおも複雑な身の上にあったことに変わりがなかったようで、天正3年(1576)には実家の兄である水野信元が家康により殺害されるという出来事が起こりました。つまるところ家康生母の実家として、また尾張三河境の領主として影響力を保っていた水野氏の存在を、信長や家康が疎んじた結果だともいわれています。

■わずかに残る遺構

 緒川城は、その於大が生まれた城であると伝えられています。後年水野氏は、刈谷城を築いてそちらに移っており、そのことも勘案すれば、どちらかと言うと前時代的な城だったのかもしれません。現在まで残る刈谷城跡は明治維新まで使用されたものなので、近世城郭の遺構を一部に残す城跡となっていますが、緒川城はそれとは対照的な小城だったと思われます。
 城があったのは現在の東浦町役場から少し離れた高台で、現在はほとんど旧情をとどめていませんが、部分的には土塁が残されています。城郭遺構としては事実上これがすべてのような状態ですが、その部分的と言うより断片的に残された土塁と思しきものが、今なお独特の存在感を放っています。

(2018年01月23日 初掲)









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