九州の小京都と呼ばれる城下町。
飫肥城
所在地
別名
宮崎県日南市飫肥10丁目
:舞鶴城
築城者
築城年
:未詳
:不明


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■伊東氏の戦い

 日南市飫肥は、古い時代の面影を残す街並みから九州の小京都とも呼ばれ、近郊では有数の観光地となっています。飫肥城はその小京都の政庁の役割を果たす城でした。
 どうやらそれなりに歴史の古い城だったらしく、その創建時期はいまだにはっきりしていません。飫肥城の名が信頼の置ける資料に見られるようになるのはやはり、三州統一を目指す島津氏が、日向に一大勢力を築き上げていた伊東氏と激戦を繰り広げるようになった戦国時代の到来を待たなければなりません。
 元来島津氏の城だったようで、島津氏と伊東氏の勢力が拮抗している頃には伊東氏による攻勢にさらされ続け、時には伊東氏の属城となった時期もあったようですが、やがて島津氏の勢力は日向一国を飲み込んでいきます。
 伊東氏が再び飫肥城主の座に返り咲くのは、天正15年(1587)、豊臣秀吉による九州征伐の仕置きが済んでからのことです。初代藩主伊東祐兵(すけたけ)に五万一千石が与えられました。以後の飫肥藩は代々伊東氏が納め、明治維新を迎えました。
 なお、現在見られる飫肥城址は、貞享元年(1684)の大地震で城が大損害を被ったのを受け、大規模な修復工事が行われた時のものを基調としています。

■城下町の核

 ことほど左様に、城郭マニアのみならず旅行通からも好評を博している飫肥城ですが、前評判が高かったためにちょっと期待し過ぎた状態で訪問してしまったのかもしれません。石垣など、なかなか風情のある城には違いないのだけれど、主が五万石級、さらに本丸が飫肥小学校のグラウンドになっていると言った不利な要素もあり、特に規模に関して少々拍子抜けしてしまった感もあります。
 もっとも、変な先入観を持たずに訪問すれば、文字通り飫肥杉が林立し、森閑とした雰囲気のそこに佇む旧本丸などはなかなか情緒があると言えますし、松尾の丸に復元された御殿も見所でしょう。それに何といっても飫肥自体が宮崎県内でも有数の観光地。城下町飫肥の中核をなすスポットを見に行くような感覚で立ち寄るのが良いのかも知れません。
 なおここでは城郭建築扱いとはしませんでしたが、城に隣接する位置にある明治の建物・豫章館(よしょうかん)も、人気の観光地です。

(2009年04月09日 初掲)

















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