豊臣恩顧の山城。
水口岡山城
所在地
別名
滋賀県甲賀市水口町水口
:なし
築城者
築城年
:中村一氏
:天正13年(1585)


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■山上に残る遺構

 水口城で情報を得、そこから訪ねてみることになった岡山城は、話に聞いて思い描いていたよりは、人手の入った感じの城跡でした。里山の頂上だけ、木々が切り払われたような状態なのかと思いきや、最低限の散策路整備の手は入れられています。一方で、遺構の破壊はおおよそ免れているようで、曲輪の名残や空堀の跡を認められます。石垣も、想像以上にはっきりしたものが残されていました。
 もっとも、こちらは保存水準が余りにも良過ぎるので、秀吉の時代に積まれたものが廃城を経てそのまま残っているものではなく、近年積みなおされたものと言う気がしないでもありませんが、いずれにせよ、事実上前情報もなしに、現地調達的に見つけた城としては掘り出し物と呼ぶに値するものでした。

■15年間の城

 岡山城は、天正13年(1585)に、羽柴秀吉の意を受けた中村一氏によって築かれました。東海道は江戸時代に入ってから江戸幕府によって整備されたものであり、当時は、後に中山道となる東山道が西国と東国を結ぶ街道として重視されており、水口と言う土地それ自体は、まだ後世ほどの重要性は帯びていなかったと考えられます。現地の看板はむしろ、近江東南部を見渡す高台の地であることを重視して、城が築かれたのだとしています。城主は、一氏を皮切りに増田長盛、長束正家と秀吉が重く用いた武将が歴任しましたが、城としての歴史は短く、わずかに15年を経た慶長5年(1600)、関ヶ原の合戦後に池田長吉によって攻め落とされました。
 しかしながらこの15年の間に、水口は城下町としての発展を見、宿場町として発展する際の礎になったということです。

(2016年08月02日 初掲)









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