始祖朝宗以来続く伊達氏の城。
桑折西山城
所在地
別名
福島県伊達郡桑折町大字万正寺
:高館城
築城者
築城年
:伊達朝宗
:文治5年(1189)頃


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■旧時代の終わり

 桑折西山城は、伊達稙宗時代における伊達氏の本城です。稙宗は、政宗から見ると曾祖父に当たる人物で、大森城の項で触れたとおり、息子・実元の越後入嗣問題に端を発して彼と、嫡男・晴宗の間で争われたのが、天文の乱です。もとが名族であるだけに、奥州の盟主として権勢を誇った伊達氏でしたが、家中を二分するこの争いで蹉跌を見、その勢力は大きく後退することになりました。のみならず、親子の争いは伊達氏に連なる奥州の諸大名・豪族を巻き込むものであったため、奥州の各所で陣営の異なる勢力同士の小競り合いを併発することとなりました。こうして東北の戦国時代は一層加速しました。
 稙宗がここ西山城に幽閉されたことで、親子の相克は決定的なものとなりましたが、この争いは、最終的に晴宗方の実質的勝利と言える形で幕引きとなりました。家中を掌握した晴宗は、稙宗色の強さを嫌ったか、後に本拠地を米沢城に移しています。伝統的に、伊達氏には関東よりも東北を指向する習性があって、北に勢力を伸張しようとする意識もあったのかもしれません。

■国史跡の大山城

 西山城は、伊達氏中興の祖となる藤次郎政宗以前最盛期の伊達氏居城です。歴史は初代朝宗に始まるとされ、伊達氏の権勢を象徴するかのように、その規模は非常に大きく、質的にも特筆するべきものが多いことから、国の指定史跡となっています。曲輪の跡は一つや二つと言う程度では済まないし、一つ一つの規模も、東北地方のこの時代の城としてはかなり大きなものと言って良いでしょう。土塁による防備も施されている他、近年のものにも見えますが、一部には石積も存在しています。中央の有力大名の居城にも引けを取らない壮大な城跡には、見るべきものが多いと言えます。ちなみに本丸跡には「高館城址」の石碑があります。史跡名はあくまで桑折西山城ですが、その中核となった高館の城域が時を追うごとに拡大して行き、現在その遺構を見られる西山城へと成長したと理解すれば良いのでしょうか。
 なお、山城の部類に含まれる西山城は、峻嶮で山深いところに位置するわけではなく、どちらかと言えば里山程度の山の中に築かれていたのですが、現在でもクマやらカモシカやらが跋扈する場所のようです。少なくとも私は、カモシカには遭遇しました。カモシカはともかく、クマとの遭遇には注意を払うべきところかもしれません。

(2015年11月07日 初掲)

















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