尾張名古屋は城で持つ。
名古屋城
所在地
別名
愛知県名古屋市中区本丸
:金鯱城など
築城者
築城年
:徳川家康
:慶長14年(1609)


お城スコープ > お城総覧 > 名古屋城

■尾張名古屋は…

 尾張徳川家の居城だった城です。もともとは織田氏の那古野城があった場所に建設された、天下普請の城です。清洲は信長の統治によって随分発展していたようですが、家康は現在で言う中京地区の押さえとして、一族の大名を置くにあたって、清洲よりも交通の便で都合が良かったこの場所に巨大な城を建設したのです。
 創建当時の建物は、太平洋戦争の際に空襲で焼けており、現在建っているのはその後建設されたコンクリート作りの城です。写真に写っているものをはじめ、4つの隅櫓が戦災を免れ、創建当時のままの姿で残っています。
 内部は例の如く歴史資料館。ただし、建物の規模が規模なので博物館の態に近いです。展示品はというと、一般の城郭博物館にあるようなものが中心ですが、江戸時代の名古屋で発達していた貸本屋にちなんだ展示品をはじめ、城下町名古屋に関するものも目に付きます。
 

■鯱じゃ鯱じゃと指差され

 そう言えば、名古屋城といえばつきものの金のしゃちほこ(実際にはこれを名古屋城の専売特許とするのは問題があるのですが)は、実は現地に行っても意外と見にくいです。このしゃちほこも、実はちょくちょくと下界に降りて来ることがあります。直近では例の愛地球博に合わせて下向してくるようですが、しゃちほこは博覧会と縁があるのかもしれません。以下は『名古屋甚句』。
 
 アーア、尾張大納言さんの金の鯱ほこの 言うこと聞けば
 アーア、 文明開化の世となりて  高い城からおろされて 咎無い私に縄をかけ
 離れ離れの箱の内  蒸気船にと乗せられて 東京までも送られて
 博覧会にさらされて  幾十万の人々に  鯱じゃ鯱じゃと指差され、
 こんなにくやしいことはない いっそ死んだがましかいな
 一人で死ぬのはよけれども  お前と一緒に死んだなら、
 人が心中(真鍮)じゃと言うであろうトコドッコイ ドッコイショ
 天守閣部分はお土産を売る売店になっており、名古屋人の奇矯なセンス爆発の、キッチュなお土産が満載です。しゃれのわかりそうな人にお勧めの場所です。一方、名古屋城周辺は名城公園として整備されており、一帯をぶらり散策して見るのも良いかもしれません。小1時間かかりますが。そう言えば、今は空掘となったお堀には鹿が飼われていますが、妙な光景です。昔はそこを電車が通っていた時期もあったとか。
 

■濃尾平野の巨城

 すでに戦乱の時代から時は流れ、山の上、あるいは時には全山に建設するような山城は廃れ、領内の平地に政治のための城を作るようになった時代の城です。もともと尾張には大した山もなく、ある程度名の知れた城の中で山城らしきものは小牧山城くらいのもの。もともと平地の城がメインの土地柄で時勢はあまり関係ないかもしれませんが。とは言え、そこは武士の暮らす場所なわけですから有事の際のことも考えて作られているわけです。
 名古屋城は城主が大大名なので規模もそれに見合って大きく、石垣に囲まれた鉤型の通路など、平地の平城なりに工夫を凝らした防御機構のあとも若干伺うことが出来ます。名古屋城の建設責任者は元地元民・加藤清正ですが、彼の築城技術には定評があります。
 さて、名古屋城は戦災で焼失する以前に内部の設計・装飾などの細密なデータが取られているということです。現在はコンクリート作りのそっけないつくりの城になってますが、次に作り直すときは、そのデータをもとに、できる限り往時の姿を再現してもらいたいものです。尾張名古屋は城でもつの矜持にかけて。そう簡単に壊れそうにはないんですけどね。
 なお2005年1月現在、本丸御殿復元のための基金が募られています。こちらは残された資料をもとに、可能な限りオリジナルに近いものを作ろうとしているようです。
 

(2008年03月01日 初掲)





















戻る
TOP