石垣の印象的な山城。
苗木城
所在地
別名
岐阜県中津川市苗木
:赤壁城 
築城者
築城年
:遠山氏
:天文年間(1532〜1555)


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■見応えのある石垣

 苗木城は、中津川市の市街地から木曽川を挟んだ対岸にある城山に築かれた山城です。城山の海抜高度は432mですが、天守のあった山頂付近の削平地は猫の額ほどの広さしかなく、周辺の土地に比べても20〜30mほど高くなっているでしょうか。天守跡に通じる道は、あるときは斜面をジグザグに、あるときは山の周囲を螺旋状に伸びており、直登はできません。山城とは言え、どっしりと構えるではなく、さながら塔のようにシャープなシルエットを持ったお城です。
 この城の見所は、ズバリ石垣です。ごく初期の戦国城郭の石垣は天然石をとにかく積み上げただけと言う感じのものだったのですが、苗木城の石垣は石積み技術が完成を見る前段階の時期のもので、山城のわりにかなりきれいに積み上げられています。もともと山自体にもかなり大きな岩が埋まっていたようで、石垣のあちこちに、天然の巨岩が取り込まれている様子も見て取れます。
 

■苗木城の歴史

 遠山氏の一族は、戦国時代に恵那地方を支配した豪族です。本宗家は岩村城にあったようですが、城山の地に苗木城を築いたのは苗木遠山氏です。天文年間(1532〜1555)の事だったと考えられています。
 苗木城は天正2年(1574)に武田勝頼の侵攻を受け、その後天正10年(1582)の武田氏滅亡までは武田の支配体制化に組み込まれる事になります。そして、武田の滅亡からわずか3ヵ月後に本能寺の変が勃発すると、今度は森長可によって攻め落とされています。
 慶長4年(1599)、森氏に代わって川尻氏が苗木城に入りますが、川尻氏は関ヶ原の戦いに当っては西軍に味方しました。このとき、徳川家康の下に身を寄せていた遠山光政は、家康から戦いのための備えを借り受けるとともに、苗木城攻略を下命され、この城を奪還する事に成功しました。以後明治維新まで、苗木遠山氏一万石の居城として存続しました。
 

■城の頂から木曽路を望む

 苗木城の直下を流れる木曽側の川底には竜神が住んでいたと言われ、この竜神が城の白壁に爪を立てて破壊する事がたびたびあったため、この城の壁はついに赤みを帯びた土壁のまま放置されるようになり、そのことから「赤壁城」の別名で呼ばれるようになったという伝説が伝えられています。
 天守跡からの展望も抜群で、城郭建築そのものに興味の無い人でも楽しめるお城です。苗木城の東から北にかけて延びていく木曽の山並みは雄大そのもので、人の営みのちっぽけさすらも感じさせてくれて、昔の人が木曽川に棲む竜神の存在を想像した気持ちも、何となく理解できるような気がします。
 なお城跡の近くには、苗木遠山資料館が開設されています。
 

(2008年03月01日 初掲)















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