物の怪伝説の残る城。
三次城
所在地
別名
広島県三次市三次町
:尾関山城
築城者
築城年
:三吉広高
:天正19年(1591)頃


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■変り種の城を求めて

 気がつけば「お城スコープ」で紹介しているお城も百城を数えていました。これだけの数の城を回ったとなると、ちょっと変わった城の一つも訪ねたくなるのも人情というもの。もちろん正統派の名城も捨てがたいのだけれど、一風変わった逸話のある城はないものかと考えていた私の目の前にぶら下げられたまたとない好餌が三次城でした。
 三次城は決して知名度の高い城ではありません。広島市から北東へ向う事数十kmのやや辺鄙な山中にあったこのお城は、北方の比熊山城に居城していた三吉氏が出城として築いたのが始まりだとされ、幕藩体制下において三次浅野藩の居所へと移行していきます。別名を尾関山城と言い、近年ではこちらの名前の方が通りが良いようです。稀には前述の比熊山城のことを指して三次城とすることもあるようで、広義では比熊山・尾関山の両城を三次城と呼ぶ事になるのかもしれません。そんな三次城、尾関山はともかく比熊山城の方には怪異な物の怪伝説が残っていると言うので、二つまとめて訪問してみました。

■尾関山城

 濃霧の立ち込める中、まず最初に訪ねたのが尾関山城のほうです。現在では三次市街の外れ、江川に臨む尾関山公園として、市民の憩いの場となっているようです。前述の通り、元は在地の国人領主であった三吉氏の出城で、築城時期も定かではありませんが、毛利氏に付き従っていた三吉氏は、主筋が関ヶ原の戦いで没落すると尾関山城を離れざるを得なくなり、城には代わって広島城主福島正則の重臣・尾関正勝が入りました。
 やがて福島氏が城の無断改修を理由に幕府から改易処分を受けた後は、広島には浅野氏が入り、寛永9年(1632)に三次は広島の支藩となります。初代藩主・浅野長治は城を構えず、尾関山城付近に陣所を築いて執政府としました。
 現在の尾関山公園は大正初期に開かれたものらしく、曲輪らしき平地を広場とするなど一応かつての城の縄張りを利用して整備されている風ではあるものの、史跡としての保存状態は望むべくもありません。

■比熊山城と「稲生物怪録」

 尾関山公園の北、鳳源寺の裏山に位置する比熊山城は、従来近くの比叡尾山を居城としていた三吉氏が天正19年(1591)に移った城だと伝わります。三吉氏は関ヶ原で城を失う事になったのですから、10年もこの城を使わなかったことになります。知名度は低い城ながら、山頂部にはかなりの広さを誇る削平地(通称「千畳敷」)と高い土塁が残り、山城の名残を良くとどめています。
 さて、山頂付近には「神籠石(こうごいし)」と呼ばれる石が現存していますが、この石は古くから「たたり石」の異名で呼ばれていました。その名の通り触れると祟りのある石だと言われていましたが、寛延2年(1749)に当時16歳だった三次藩士・稲生平太郎(武太夫)が肝試しでこの石に触れたところ、三十日間に渡ってその屋敷に妖怪たちの訪問を受けることになったと言う記録が残されています。知っている人は知っている、「稲生物怪録」のあらすじです。ちなみに私は触りませんでした。霧深い山中にでんと居座る巨岩を前にすると、やはり興味本位で手を触れてはいけないような厳粛さを感じずにはいられません。
 なお、三次市的には「稲生物怪録」は町おこしのための貴重な観光資源と捉えられているようで、市内には武太夫にちなんだ石碑なども建てられています。

(2008年04月08日 初掲)















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