毛利・尼子戦線の帰趨を握る城。
三刀屋城
所在地
別名
島根県雲南市三刀屋町古城
:なし
築城者
築城年
:諏訪部扶長
:承久3年(1221)


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■尼子十旗

 三刀屋城は、「尼子十旗」と呼ばれる、尼子氏の主要支城網の一画を担った城です。現在、出雲神話街道の通称をもって呼ばれ、山陰と山陽を結ぶ主要幹線道の一つとなっている国道54号沿線に位置していますが、この国道54号は、奇しくも尼子氏の宿敵であった毛利氏の本拠地・吉田郡山城のあった安芸高田市を抜け、広島市に達する道となっています。54号沿線が中世以前に有数の往還の一つであったかどうかは、調べてみた限りでは定かではありませんが、おそらく何かしらの道はつけられていたものと思われます。その地理的特性に着目すれば、毛利氏との闘争を繰り広げた尼子氏にとって、きわめて重要な意味を持つ城だったとして良いでしょう。
 三刀屋城の歴史は鎌倉時代初期にまで遡り、当時この地の地頭職についていた諏訪部氏によって築かれたものと考えられています。諏訪部氏の裔はやがて、地名と同じ三刀屋氏を称するようになりました。前述の通り、尼子十旗に数えられた三刀屋城ではありますが、その主である三刀屋氏は、尼子氏、毛利氏、そして大内氏の勢力がしのぎを削った戦国出雲のこの地にあって、有力大名三氏の間で度々主を変え、一貫して尼子氏の麾下にあったわけではありませんでした。最終的には毛利氏に従って天下の統一を迎えていますが、後に徳川家康との通謀を疑われ、改易処分を受けています。叛服常なき処世術が、ついに祟ったのかもしれません。
 三刀屋氏なきあとも、城は毛利氏統治時代を通じて保たれたようです。関ヶ原の戦いに伴う毛利氏の減封を受け、出雲に転封された堀尾氏も、三刀屋城に手を入れた形跡が残されていますが、元和の一国一城令が制定され、この際に堀尾氏領国内の城は松江城一城を残して廃城となりました。三刀屋城はそれら廃城のうちの一つとして、その歴史に幕を下ろすことになりました。

■史跡としては…

 そんな来歴を伝える三刀屋城ですが、実際に訪ねてみて、やや肩透かしを食った感が否めません。公園化された城跡の一部には石垣も残されていると言うことでしたが、史跡として整備されていると言う感じではないので、漫然と、良く目に付く場所を歩いて回っていても見つけられるというものではなさそうです。それなりに明確に探索の意図を持って、城跡を歩く必要がありそうです。
 総体的に見て、おそらく曲輪跡なのだろうと言う平坦地はいくつかありますが、城郭時代の縄張りが現存する物なのか、公園整備工事による物なのか、判然としない箇所が多く、城そのものの解説もごく限られています。明らかに、城跡としての主張が弱い部類に入ります。ただ、三刀屋の町の展望には優れていて、都市公園としては成功しているのかもしれません。

(2013年04月07日 初掲)















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