金吾中納言裏切りの城。
松尾山城
所在地
別名
岐阜県不破郡関ケ原町大字今須
:長亭軒城
築城者
築城年
:富島氏
:応永年間(1394〜1428)


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■東国西国の分かれ目

 松尾山は一般に、関ヶ原の戦いにおける小早川秀秋の陣所として知られています。秀秋の寝返りにより勝負が決したとも言われるこの大戦、その焦点となった地名が有名になるのは自然の成り行きなのかもしれません。その一方、城としての松尾山の知名度は、決して高くはありません。
 秀秋の軍勢が、展開次第で西軍の戦力としても東軍の戦力としても機能し得た事実が物語るとおり、松尾山は関ヶ原の大会戦の要諦とも言えるところに位置していました。それだけに秀秋がここに陣取った際には、陣城程度のものは築かれていたと考えられています。さらに言えば、戦乱の時代にあっての松尾山は、戦略上の重要拠点でもありました。古代の関所・不破関が置かれたのもここ関ヶ原で、これを見下ろす松尾山に境目の城が築かれたのは、当然の成り行きだったのでしょう。関ヶ原の戦いに際しては、この城跡が陣地として使われたのでした。

■廃城から陣城へ

 松尾山には、14世紀末から15世紀初頭の応永年間には、国境防備の城が築かれていたと伝えられています。その後しばらくは、松尾山城の名が表だって史書の類に現れてくることはありませんが、織田氏と浅井氏が決裂した時期には、双方の拠点である岐阜城と小谷城を結ぶ街道筋の城として、軍事上の重要性を増したものと考えられています。早期には浅井氏に帰属していた松尾山城も、浅井氏は三年の内に織田信長によって滅ぼされました。浅井氏を滅ぼした後は不破光治が城の守備に当たりました。しかし、浅井氏問題が解決した後の織田氏にとって、美濃と近江の国境に当たるこの場所は、領内の深いところとなるわけですから、前線の城のような重要性は急速に失われ、天正7年(1579)には、廃城もしくは廃城同然の状態になっていたものと考えられています。何もなければ、松尾山城はそのまま自然に帰っていたのかもしれません。
 しかし慶長5年(1600)、いみじくも古代日本における西国と東国の境界となっていた松尾山麓関ヶ原で、天下分け目の決戦が戦われることになりました。決戦に臨んで、戦場を見下ろす松尾山城の遺構には、応急的であるとは言え改修が加えられたと考えられています。城の補修を行い、当初ここに陣取ったのは当時の大垣城主・伊藤盛正でしたが、結果的に小早川勢によって松尾山を退去させられました。表向きは友軍である小早川軍に、政治圧力をかけられたといった所でしょうが、秀秋にしてみれば腹に一物を抱えての行動だったに違いありません。ちなみに、西軍の本拠として使われることになった大垣城ですが、これも石田三成からの要請により、明け渡さざるを得なくなったと言うのが実情のようです。

■決戦場を見下ろして

 その昔、物の本で読んだところによると、明治政府に招聘された某国の軍事顧問が、関ヶ原の戦いにおける東軍・西軍の布陣を一見し、東軍に勝ち目はないと宣言したという逸話があるのだそうです。実際のところ、戦いは東軍の勝利に終わりました。近代戦において、部隊が丸ごと敵軍に寝返り、友軍を攻撃すると言う事態に現実味を伴わないが故の逸話だったと言えますが、陣立ての段階ではそれほどに優位を保っていた西軍は、日和見や東軍への内通部隊の存在により、一部で機能不全を起こしながら、それでも東軍勢力と拮抗した戦いを続けました。
 そして巷間よく言われるように、家康による秀秋に対する「督戦」が行われます。諸説はありますが、松尾山へと撃ちかけられた鉄砲に、秀秋はついに西軍への攻撃を決意したと言われます。松尾山を下った辺りでは大谷吉継の軍勢が藤堂高虎らの軍勢と戦闘を続けており、これの横腹を突く形になりましたが、吉継は秀秋の裏切りを予見していたと言われ、両軍の士気の差もあって、小早川軍の攻撃それ自体はまだ決定的な打撃とはならなかったようです。ところが、1万5千と言う大軍を擁する小早川軍が東軍に着いた事実が諸将の間に知れ渡ると、日和見部隊も相次いで東軍に寝返りを打ちました。これにより戦況は、西軍諸隊が東軍に各個撃破される殲滅戦の段階へと移行して行きました。
 松尾山には現在、東海自然歩道が通っており、比較的整備されたハイキングコースの一部になっています。山頂付近が平坦地となっているのは、ハイキングコース整備のためのものではなく、城跡だったころの名残だと考えたいところです。一部には、土塁も見られます。遺構はハイキングコースの周辺に限らず広範に展開していますが、総じて保存状態はさほど良くありません。山上から関ヶ原の地を見下ろし、往時を思うための場所でしょうか。

(2015年05月09日 初掲)





















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