神保氏落日の城
増山城
所在地
別名
富山県砺波市増山
:なし
築城者
築城年
:神保氏?
:不明


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■天険増山城

 増山城は、越中守護代神保氏の城でした。一般に神保氏の居城としては、富山城が良く知られています。しかし神保氏は、越中の覇権を握るため、上杉氏に誼を通じた椎名氏へ圧迫を加え続けたため、かえって上杉謙信の介入を招き、富山城を追われて増山城に追い詰められたのでした。一時的には上杉氏との和睦が成立したものの、いつしか越中は上杉氏と織田氏の巨大勢力が接するところとなっており、その頃には神保氏の名が史料上に見られることもなくなってしまったようです。曲がりなりにも大名格であった家が、その顛末すら定かでないまま消えていった例は珍しいと言えるでしょう。
 ただ、増山城が上杉氏の軍門に下ったことは間違いがなさそうで、謙信をして「増山之事、元来嶮難之地、人衆以相当、如何ニも手堅相抱候間」と言わしめているのだそうです。が、そんな増山城もついには織田氏によって陥れられ、その後は佐々氏、前田氏と越中を治めた大名の間で帰属が転々とし、元和の一国一城令の頃に廃城となったと推定されています。

■越中有数の山城

 増山城の跡は、和田川をせき止めてできたダム湖、その名も増山湖を見下ろす山上にあります。ふもとのダム湖岸には駐車場も完備されていて、その点では比較的とっつきやすい城ではあるのかもしれませんが、いっぱしの山城でもあり、山麓から主郭までは、20分ほどかけて山道を登らなければなりません。
 大手道らしい坂道を上っていくと、横手の尾根を明らかに堀切で断ち切っているように見える箇所があるのに、それについて何ら解説が加えられていなかったので、発掘整備があまり進んでいない城なのかと思っていたのですが、そんなことはなく、むしろ、空堀、石垣跡、土塁その他の遺構がかなり大規模なものであり、わずかばかりの土木工事の痕跡をいちいち拾い上げていたらきりがない状態なのでした。その気になって探せばとにかく見どころの多い城ですが、そんな城中には、伝神保夫人入水井戸と呼ばれるものが残されているのだそうです。先に触れた神保氏の顛末も踏まえると、忘れられたように現存するらしい井戸跡からは、栄枯盛衰のはかなさを思わずにはいられません。

(2019年04月26日 初掲)

















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