現存最古の天守閣が残る城。
丸岡城
所在地
別名
福井県坂井市丸岡町霞町1丁目
:霞ヶ城
築城者
築城年
:柴田勝豊
:天正6年(1578)


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■現存最古の天守閣

 丸岡城は現存最古の天守閣を持つ城として、また最近では本多作左衛門重次の手紙、「一筆啓上、火の用心、お仙泣かすな、馬肥やせ」に着想を得た「日本一短い母への手紙」でも有名になっています。やや瑣末な話にはなりますが、すべてが石瓦で葺かれた屋根も特徴の一つです。
 築城年は天正4(1578)年で、築城者は柴田勝家の甥、勝豊です。当時この地で猛威を振るっていた一向一揆の拠点・豊原寺を殲滅した功から勝家は越前国(福井県東部)を与えられ、この地に勝豊を入れました。
 江戸時代に入ると本多氏や有馬氏がこの城に入り、明治を迎えました。そして、天守閣を除く城郭建築の多くは昭和にかけて取り払われています。その天守閣は昭和9(1534)年に国宝に指定されましたが、23年の地震により半壊しています。その後、25年に重要文化財に指定されたことを受け、創建当時の部材を生かしながら30年に再建を果たしました。
 

■素朴なお城

 現存最古の天守は決して大きなものではなく、意匠なども素朴と表現するのが相応しいお城ですが、古めかしい内部の様子からは、これまでこのお城が積み上げてきた歴史の迫力が感じられます。一見の価値があるものだと思うのですが、近隣には丸岡城へ向かう客を誘導するような案内看板が全くと言って良いほど見当たりませんでした。お出かけの際は是非、地図の携行を。
 「日本一古いお城なのだ」と厳粛にかみ締めるような気持ちで訪問しないと、少しインパクトに欠ける面もあるかもしれません。ちょっとした高台の上に建っていること、福井平野の一角の城ということもあって、展望は決して悪くないので、殿様気分には浸れるでしょう。
 

■家康と譜代

 前述の通り、丸岡城は決して規模の大きなお城ではありませんでした。それに付随する城下町もさほど大きなものではなかったのかもしれません。この城に入ったのが重次の子・「お仙」こと成重でした。石高は四万三千。
 家康を支えた譜代の重鎮である重次系の家としてはかなり小禄の印象がぬぐえません。重次の後輩でありながら徳川四天王の一に数えられ、彦根城に入った井伊直政の場合などと比べると、冷遇されているようですらあります。直接的には関係がありませんが、皮肉なことに重次と直政の間には軋轢もあったと言います。
 もっとも、家康は天下人となってからは譜代の家臣を大藩の大名として厚遇することをしませんでした。もともと三河武士団は、実直にして朴訥、良くも悪くも君主と家臣の間に垣根がないことで知られていましたが、そういう慣習が征夷大将軍として専制君主たらんとしている家康にとっては不都合なものだったので、「君主は君主、家臣は家臣」という線引きを徹底させるため、譜代の家臣団は積年の功に比して不等ともいえるほど低い評価を与えられたと言う解釈が一般的です。
 重次はその三河武士の典型のような人物で、家康に対する忠義の念も深い反面、言いたい放題のことを言ったなどとも伝えられています。その結果として北陸の小藩に送り込まれた、と考えるのは穿ちすぎでしょうか。
 

(2008年03月01日 初掲)















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