伊達稙宗の隠居城。
丸森城
所在地
別名
宮城県伊具郡丸森町字新町
:丸山城
築城者
築城年
:伊達稙宗
:天文17年(1548)


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■稙宗の隠居と相馬氏の介入

 伊達氏にゆかりの城で何度か話題に上せた天文の乱は、事実上、息子・晴宗の勝利で幕引きとなりました。形の上で晴宗と和睦した父・稙宗でしたが、和睦の条件として家督を譲渡さざるを得なくなり、家中における影響力をはく奪される形で、隠居することとなりました。丸森城は、そんな稙宗の隠居城として築かれました。稙宗は、隠居後の20年近くをこの城で過ごしました。稙宗の、宛がわれた伊具郡は、当時の伊達氏領の南端に近く、さらに南で領地を接するとともに娘婿の関係にもあった相馬氏と、稙宗が近しかったこともあって、隠居後の稙宗の世話は、相馬氏が見ることになりました。
 しかし稙宗の死後、見様によっては現代にも通じる諍いが発生しました。相馬氏が、稙宗の遺領であった伊具・宇多両郡の領有を主張したのです。結果、丸森城は相馬氏の手に落ちることになりました。以後、伊達氏は、丸森周辺の領地を巡って相馬氏と度々衝突するようになりました。最終的に輝宗の代になってこの城を奪還するまでに、20年の歳月を要しています。以後の伊達氏は、丸森城を自領として保持し続けましたが、慶長6年(1601)に廃城となりました。

■里山に残る城の痕跡

 異称のある城らしく、現地では丸森城あるいは丸山城の表記が混在しています。一応観光地図の類にも名前が見られる城でありながら、公園化の手の入っていない里山然としたたたずまいで、今も阿武隈川に臨んでいます。山裾が宅地化されたり、主郭付近が果樹林や畑地に転用されていたのかもしれないと思われる節もあります。
 良くも悪くも城郭時代からありのままで時を経た感じがあり、規模壮大とか、目覚ましい遺構があるわけでもありませんが、基本的には平山城の旧情をとどめている方だと言えるでしょう。なお、主郭には伊達稙宗の墓碑があります。明治時代に当時の伊達家当主が建立したもののようです。天文の乱を引き起こすまでは、破竹の勢いで伊達氏の家運を高からしめた伊達稙宗という武将を偲ぶのがもっぱらの城なのかもしれません。

(2016年02月06日 初掲)

















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