謎多き伊達氏累代の城。
梁川城
所在地
別名
福島県伊達市梁川町
:鶴ヶ城
築城者
築城年
:伊達氏
:不明


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■乏しい資料

 前回、初代伊達朝宗に始まる城として桑折西山城を紹介しましたが、伊達稙宗が居城を移すまで使用していたのが、ここ梁川城です。いわゆる伊達氏累代の居城ということになるでしょう。が、桑折西山城が規模壮大な遺構を残しているのに比較すると、その全容は定かでないところがあります。築城自体は伊達氏の伊達郡入りからさほども経っていない時期のことだとされています。発掘調査によれば、城の創立はそれに近いところまで遡ることは出来そうですが、その主が実のところ誰であったかについては、文献資料に乏しく、今後の研究が待たれる状態のようです。
 さて、伊達氏時代にはその領内の重要拠点の一つとして機能した梁川城は、伊達氏の後を受けた蒲生氏や上杉氏の頃に改修工事を受けたと考えられています。後に、関ヶ原の戦いに当たって上杉氏がこの地の領有権を失った際に廃城になりました。以後は、その一部が陣屋として使用され続けるにとどまりました。

■城の面影は

 伊達氏ゆかりの諸城を回る中で訪ねた梁川城ですが、遺構の保存状態で言えば大森城以上に残念なことになっています。かつての城地の大半は小中高校および幼稚園となっており、若干現地で見られる説明も、主に蒲生氏時代以降の来歴に的を絞った形となっています。文教地区と言えば聞こえは良いですが、時代が下っても陣屋として使われていたことから、公共施設を建てるにあたって用地の取得が容易だったということなのでしょう。これまた城跡が辿る顛末としてはありふれたものと言えます。
 曲がりなりにも城郭時代を偲ぶよすがとなるものと言えば、心字の池(ただし復元)と浅間神社くらいしかありませんでした。ちなみに、本丸跡には梁川小学校がありましたが、東日本大震災の時に損害を受け、最終的に移転したようです。

(2015年12月06日 初掲)









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