大村湾に臨む花の城跡。
玖島城
所在地
別名
長崎県大村市玖島
:大村城
築城者
築城年
:大村喜前
:慶長4年(1599)


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■大村氏とキリスト教

 玖島城が築かれたのは新しい時期のことで、その歴史は正しく近世城郭のそれでした。この城は、関ヶ原の戦い勃発前夜の慶長4年(1599)に、大村喜前の手によって完成されました。戦国時代より前の大村氏は資料が少なく、大げさに言えば玖島城の歴史はそのまま大村氏の歴史なのかもしれません。
 喜前の父は、最初のキリシタン大名として知られる大村純忠でしたが、狂信的キリスト教徒だった父とは異なり、喜前は豊臣秀吉の九州征伐に臨んでキリスト教信仰を捨てています。背景には当然のことながら秀吉のキリスト教嫌いがあったことと思われますが、玖島城はそうして守り抜いた本領の政庁となるべく、新時代を睨んで築かれた城でした。
 大村氏は明治維新まで玖島城の城主として存続しますが、大村藩初代藩主であるところの喜前と、その子である二代純頼は、大村藩存続のためにキリスト教を捨て、あまつさえ時の為政者の信頼を得るためキリスト教の弾圧を行っており、それを恨みに思ったキリシタンによって毒殺されたとも言われています。大村藩のあった肥前国には、島原の乱の舞台となったことであまりにも有名な原城があり、一歩間違えば大村領内で同じような一揆が発生していてもおかしくなかったのかもしれません。初期大村藩によるキリスト教対応が、薄氷を踏むようなものだったことが想像されます。

■花の公園

 大村湾に面して建っていた近世城郭の跡は、現在大村公園として整備されています。日本さくら名所100選の中にも数えられる花の公園となっていますが、訪問時は春とは言えまだ少し時期が早かったらしく、園内で見られる桜の枝に、花はついていませんでした。なお、桜以外にも、かつての堀の部分に花しょうぶが植えられています。
 純粋に城跡としてみた場合には、多分埋め立てられて大分浅くなっているのだとは思われますが、前述の堀があるほか、石垣、そして復元建造物として櫓、塀があります。石垣については、築城の名手として知られ、同じ九州の領主となっていた加藤清正から受け継いだ技巧が用いられているとも言われます。
 本丸跡には、大村氏歴代を祭るものという大村神社がありますが、こちらに関してはすっかり神社の敷地と化してしまった感があり、目ぼしい城郭遺構は残っていません。
 石垣と復元建物で構成される城でありながら、史跡としてはパンチが弱い印象もある玖島城ですが、きっと春から初夏にかけては、美しい花の咲き誇る憩いの公園として、人々の訪れを待っていることでしょう。

(2012年09月03日 初掲)















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